信仰が足りないと病気で死ぬのか
【問】立正佼成会をやっている人が病気で死にました。幹部の人は信仰がたりないといっております。日蓮正
宗の場合でもこういうのでしょうか。
【答】 日蓮正宗以外の宗教は、すればするほどだめです。信仰に限度などありません。最初からだめなのです
から、やればやるほど悪くなります。では日蓮正宗を信ずる人は死なないかと聞かれたら「ちょっと待ってく
れ」という。人には定業と不定業という二つの生命の問題があります。前世の業によって今世の寿命が定まって
いること、すなわちいつ死ぬと定まった生命が、定業であります。たいてい今では七十歳平均となっていますが
仏法上では、その七十歳平均まで生きて病気とかで死ぬ、これを定業といいます。不定業というのは、いつ死ぬ
かわからない、突然の事故等で死ぬ場合をいいます。しかし、この定業、不定業については、「これは定業の死
である」、あるいは「これは不定業の死である」などと、われわれのような凡愚には、なかなか判断がつかない
ものです。
病気だから死ぬのではなくて、死ぬ生命を持っているから病気になるのです。ただ、いまの人のように邪宗教
で生命を縮める人がいます。ちょうど嵐で、枝から落ちた果物のようなものです。それは仏法上の計画にははい
りません。それで、不定業というのがあるのです。
この人は五十で死ぬという宿命を持っている人、この人はいつ死ぬかわからない。しかし早く死ななければな
らぬ、宿命をもっている人も、信心によって命を保つことができるのです。可延定業書(九八五ページ)に「業
に二あり一には定業二には不定業、定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す何に況や不定業をや」とおおせにな
っており、その証拠を日蓮大聖人様がお顕わしになっています。本山には護秘符という秘法があり、日蓮大聖人
様以来の秘法でありますが、日蓮大聖人様のお母様が息絶えた時に、この護秘符を日蓮大聖人様が差し上げ、息
をふき返して四年間、生きられたのです。
ずっと前のことですが、私の友人に当時二十八歳のむすこを持つ人がいました。商売のじょうずな人でした。
その人が十年前に脳溢血でたおれました。その時長男は十八歳だったのです。中野歓喜寮(現在の昭倫寺)の総
代をしておりまして、信心の強い人でした。この人が夫婦そろって、どうか十年間だけ生命を伸ばしていただき
たい。子供が一人前になるまでどうかお願いしたいと、ふだんよりいっそう真剣な態度で信心していたのです。
そして、ちょうどこの前に発病したときに死にました。これは生命を伸ばしたという以外に考えられません。で
すから信心はしっかりした信心が必要です。ただ、五十なら五十で死ぬ、六十なら六十で死ぬときまった人があ
ったとしても、その人が病気だった場合、生命が伸びるといっても差しつかえありません。しかし信心はしっか
りしていなければなりません。