世法と仏法
【問】 世法と仏法との区別について、たとえば、信心している人とは思えない、利己主義の行動を見うけるこ
とがありますが。
【答】 これは、めんどうな問題です。りっぱな信心だから行動もりっぱであるというようにはなかなかいきま
せん。ここに紺のよい染料があっても、染地によって違ってきます。木綿とスフとは上がりが違います。現代の
人間は、スフの方が多い。良く染まるようになるまでには、時間がかかります。半年や一年では、その人のずる
いところはなおりません。それが人間であって、そうでないのはおばけです。そこに競争が起こり、その中で堂
堂と生活するまでにはよほどの信心が必要であります。われわれの性分は変わらないが使い方が変わり、ずるい
性分は、良い人と交るときには出てこなくて、ずるい人間同志のときは、大きく出てきます。おこりっぽいのも
同様であり、これが調和されるには時間がかかります。各人よく自分を見つめてみなさい。末法に文底の仏法が
現われ、上行菩薩が行じて民衆を救うというが、末法にはおこりっぽいのや、やきもちやきや、疑いっぽいの
や、ばかな人間が生まれてくることになっており、一応の仏法では救えません。そこで仏様は御内証の無作三身
の姿を、われわれの前に現わされ、やきもちやき、憎しみ等の調和をとってやろうというのであります。そこで、
世法は仏法とたて分けながら、渾然一体となっていくのであります。