天台流の法華経とは

 

【問】先生が法華経を覚えた時に、天台流に習ったために、罰を受けたというお話を聞きましたが、どういう

わけでしょうか。

 

【答】 いま、日本には法華経の講義録はたくさんあります。いちばん売れているのは、小林一郎先生という、

中大の先生の書いたものです。私は中大で、小林先生に倫理学や哲学を習ったものですから、先生の講義録を非

難するというのは、弟子が師匠を非難するのでいけないのです。だが私は、講義録はずいぶん読みましたが、こ

れはどうしてもだめです。先生が悪いのです。これはどうしても儒教の学説なのです。仏というものが成り立っ

ていないのです。この他は、本多日生にしても天台を出ていない。天台大師という方は、三大部といわれる「法

華文句」「法華玄義」「摩訶止観」というものを書かれた人で、法華経を読むうえには、これほどりっぱな哲学は

ないのです。で私もこういうことをいっては失礼にあたりますが、少しばかり学問の生活にいる人間なのです。

 

 数学とか物理とか経済学とか景気変動論とか、そういうものばかり、研究してきた人間なものですから、哲学的

なものにすぐ負けるのです。天台の法華玄義にしても、法華文句にしても、摩訶止観にしましても、読んだらど

うも正しい。ところが、二十六世の日寛上人の議論によりますと、これは教相と観心と二つの哲学があるのです。

 日蓮正宗によりますと、天台の学説は教相になります。観心とは文底秘沈のことであります。

 

 ここで、日蓮正宗の哲学の奥底である、御義口伝の如来寿量品第十六の中に、南無妙法蓮華経如来寿量品とあ

るのです。これはもっとも大事なことばです。如来とは何か、天台は三世十方の諸仏が如来だといっているので

す。三世十方の如来は仏だといっているにもかかわらず、あの御義口伝は、南無妙法蓮華経如来寿量品とあるの

です。そうすると如来ということばは、御義口伝からいくと、寿量品はぜんぶ南無妙法蓮華経の如来ととれとい

う命令なのです。「如来秘密神通之力」とはなんぞ、南無妙法蓮華経の仏ととらねばなりません。そう読んでく

ると観心本尊抄が生きてきます。南無妙法蓮華経の御本尊様を拝めば「権迹本の因行果徳を譲り与え給う」とい

うことばがすごく大事になります。われわれには、なんの修行もないのです。なんの修行もないが、南無妙法蓮

華経如来寿量品という如来を南無妙法蓮華経と読んだものは「権教の仏、迹門の仏、文上の釈尊の功徳をぜんぶ

くれる」とこういうのだから、仏の功徳をもらったのだから、貧乏するわけはないのです。

私が経文を読んでも貧乏な仏など出てきません。仏が借金に困ったという経文は絶対にありません。だからそ

のように読むとありがたくてたまらなくなるのです。それを天台の経文を読むと貧乏な仏は権迹本の仏の修行を

何億万年もしなければだめになっているのです。だから天台はだめだというのです。