方便について
【問】仏法上の方便について教えて下さい。
【答】 方便に、法用、能通、秘妙の三つの方便があるのです。「ウソも方便」というものはあとで日本人が作
ったのです。お釈迦様はこんなことはいいません。
法用方便というのは、ちょうど赤ん坊を、かわいがるみたいなものです。赤ん坊などは怒ってみてもどうしよ
うもないのです。ちゃんとおすわりといっても、向こうはすわるわけありません。向こうがブウブウいっている
のだから、向こうのいいなりになっているのです。それを法用方便というのです。
能通方便というのは、そうとう大きくなってきてから、もちいる方便です。それからおこるのです。いままで
あまやかしてきたけれども、そういうわけにはいかない、しっかりやらなければだめだという、それが能通方便
です。
今度、いよいよ最後になって、法華経にくると秘妙方便という。秘妙方便というのはお前も仏ではないか、お
前も御本尊の体ではないか、なにをぼやぼやしていたのだ、それを病気したり、貧乏したり、そんなバカなこと
はないではないか。ちゃんと御本尊様を拝まないからそうなるのだと、このようなことをいうのです。そして秘
妙の秘は秘密です。
秘密とは寿量品の如来秘密神通之力に通ずるのです。「御義口伝」を読んでごらんなさい。御義口伝には、如
来という文字があります。この御義口伝には南無妙法蓮華経如来寿量品第十六とあるのです。ほかのところには
南無がついていないのです。南無妙法蓮華経如来寿量品のあの如来で南無妙法蓮華経の如来になるのです。また
如来秘密神通之力の如来であります。これを秘妙方便といいます。
いま、われわれは凡夫です。凡夫であるけれども、ひとたび題目の功力をうければ仏の姿になります。これは
もう一つこれにからんでの議論は「観心本尊抄」です。それにたいして、もう一つからめば「開目抄」です。
開目抄は「人本尊」の開顕、観心本尊抄は「法本尊」の開顕です。そこから秘妙方便という方便品の意義がは
じめて開かれてくるのです。それを釈尊の仏法の本門、それをもう一ぺん開く、それを独一本門、日蓮大聖人様
の仏法です。
ですから方便というのはこの三つしかないのです。法用、能通、秘妙の三方便しかありません。やかましくい
えば、いま読んだような方便です。