諸天善神と神社の神

 

【問】初座の中に天照大神、正八幡大菩薩というようなことばがありますが、鎌倉の八幡を、その八幡と考え

てよいでしょうか。

 

【答】 ほんとうは、あそこに正八幡がいなければならないのです。だがいまはおりません。だから鎌倉の八幡

と考えては困ります。東の方を向いて、初座の御祈念をする時の正八幡大菩薩、天照大神は己心の正八幡であり、

己心の天照大神で、それは大宇宙の生命の中に暮らしているのです。だから生きている正八幡と天照大神に呼び

かけているのです。

 

 これは、こういうことになっているのです。わたしたちの命というものは、大宇宙の生命と同じものなのです。

ですから、わたしの生命、あなた方の生命の中には、死んでいるものは一つもない、みな生きているのです。こ

れはよくいう話ですがここに、精巧なラジオがあってアメリカの放送もドイツのも、韓国のも台湾のも上海のも

聞けます。だがあるなら聞かせてみろといっても、ラジオがないと聞かせるわけにはいきません。われわれの耳

でもって、聞こえていたら気違いになってしまいます。これが聞こえないのでありがたいではないですか。ない

といえばない、あるといえばある、これを「空」というのです。ですから、地獄の命が、宇宙が命なら、出して

みろといっても出せますか、出せない、そんなのがいつも出てこられたらたいへんなことになります。そうする

と、大宇宙には家のおじいさんの命も、おばあさんの命も存在している。おじいさんとおばあさんが手をつない

でいるなどと、そんなことはありません。どこにいるかさっぱりわからないのです。

 あたかもラジオでは、この線がイギリスで、ここがアメリカだというふうにわけていません。アメリカのこと

ばが、ドイツの言葉におんぶしているか、そんなわけでもありません。韓国のことばと中国のことばとが手をつ

ないで歩いているわけでもないのです。それと同じなのが大宇宙の命なのです。

 どこにだれがおり、どこに何があるというわけにはいきません。ところが、ここに精巧なラジオをもって、イ

ギリスの放送をしている電波に合わせれば聞こえるのです。それと同じで題目を唱えて、それで御祈念をはじめ

ると、わが心に、生命に住む正八幡大菩薩や天照大神と、大宇宙の天照大神と正八幡大菩薩が感応して、あなた

方の願いも聞くということになっているのです。

 

 ところが、鎌倉の八幡宮も、あそこには八幡大菩薩がおりません。そうして、あそこには邪神が住んでいるの

です。ですから、あそこへ行って御祈念を始めると、あたかもラジオをかけたと同じようになってきます。大宇

宙の天界の邪神が、そのままこちらに感応してくるのです。だから拝んではいけないというのです。

 

 いよいよ広宣流布して、広宣流布とは日本を皆信仰させるという意味ではないのです。信ずる者も信じないも

のも、本門戒壇が日本民族にとって大事だと納得した時なのです。国教にするとかの問題ではありません。本門

戒壇は日蓮大聖人様のおおせのとおり、建てなければならないのだと納得した時、はじめて日本の国に、あらゆ

る大宇宙に住む正八幡大菩薩や天照大神がおのおのの祈りをあげる場所へいっしょになって帰ってくるのです。

 その時にこそ、正八幡大菩薩も天照大神も国を守る力をあらわしまして、国家のために働きますから国が平和

になるのです。これが仏法哲理であります。