戒定慧について

 

【問】戒定慧の三学について説明して下さい。

 

【答】 いかなる仏法でも戒定慧の三学がかならずあります。それが正法時代の仏法であろうと、像法時代の仏

法であろうと、末法時代の仏法であろうと、戒定慧の三学はかならずなければならないのです。

 

 この戒と申しますのは、こうしてはいけないとか、うそをいってはいけないとかということで、これは小乗教

では五戒とか、二百五十戒とかいって、いろんな規則があります。それを破ってはいけないことなのです。歌っ

てはいけないとか、踊ってはいけないとか、それはやかましいのです。もしあなた方が戒律が好きで、こんなこ

とやってごらんなさい。たいてい三日ぐらいでのびてしまうから。これが小乗教の戒であります。

 

 戒をたもち、静かな心持ちになり、智慧を増して来るという、この三つの手段がどんな仏法にもあります。こ

れを戒定慧といいます。ですから、小乗教にも戒定慧があり、権大乗教にも戒定慧があり、法華経迹門にも法華

経本門にも、また文底深秘の大法にも戒定慧があります。

 これを釈尊はまた大きく開いて、四つの時代に分けています。それは釈尊滅後正法五百年のあいだは、戒をた

もつものが仏になるという教え、次の五百年には、禅定を行なうものが仏になります。今度は像法になります。

釈尊滅後千年からの五百年には、智慧修行をする者が仏になります。この予言は、そのとおりになっているので

す。

 ですから、釈尊滅後千年から五百年というとちょうど中国へ仏法が渡ったころで、その渡ったころから五百年

の間は、ひじょうに仏教の研究が盛んでして、読誦多聞堅固という時代で、ひじょうに知識修行が盛んになって

います。

 そのとおりになっているのです。その後の五百年が布施行になるのです。釈尊滅後千五百年からあと五百年に

は寺が多く建っています。歴史を調べてごらんなさい。ひじょうに寺が建っています。要するに、戒定慧の三学

は、あらゆる仏法上ひじょうにたいせつなことなのです。

 

 それでは、わが日蓮大聖人の戒定慧はどうか。戒律は、釈尊の戒律は用いません。ですから、「破戒にあらず、

持戒にあらず、無戒なり」とおっしゃっておられます。これは釈尊の戒がないという意味なのです。よく末法無

戒だというと、末法には戒がないから何をやってもよいと思いがちです。

 ところがそうではないのです。釈尊のこしらえた戒律がないということで、思いちがいしてはだめです。日蓮

大聖人様には「金剛宝器戒」(教行証御書一二八〇ページ)という戒があります。これは自分でやらなくてもいい、

ひとたび御本尊を受けたら、退転しようがなにしようが、御本尊様とは離れられない。これが金剛宝器戒です。

そして虚空不動定、虚空不動戒、虚空不動慧という、末法では三つの戒定慧があります。そして、この戒定慧が

なにかというと、三大秘法のことです。末法今日におきましてはすなわち、本門の本尊、本門の題目、本門の戒

壇、これが戒定慧の三学になるのです。

 これが釈尊の仏法では「色香美味」となり、これを天台が戒定慧と約したのです。当門では三大秘法に約すの

です。ですから、御本尊を拝んでいることが、すなわち戒定慧の三学をやっていることになるのです。別々にな

らないのです。「南無妙法蓮華経」これで戒定慧をうんとやっていることなのです。智慧も増すのです。バカが

利口になるのです。