佐渡における日興上人
【問】 日興上人様は日蓮大聖人第一の弟子として、日蓮大聖人様が佐渡へ流された時も、常随給仕していたと
きいていましたが、「種種御振舞御書」(御書全集九〇九ぺージ)には日興上人様の名前が出てこない。どういう
わけでしょうか。
【答】 佐渡ご流罪の時、興師様は日蓮大聖人様のおそばから離れなかった。ところが、日朗上人は牢に入れら
れました。われわれにしてみても、あなた方自身にしても、そばにいるものは心配がない。それなのに、そばに
いなくて、しかも土牢に入れられている朗師様にたいして、お手紙を与えられ励まされるのはとうぜんのことで
あって、自分のそばにいる興師様のことを書く必要はないでしょう。
おそばにいたという証拠は、日蓮大聖人様がおしたためになった大きな御書があります。ことに「立正安国
論」「観心本尊抄」などは大きな御書であり、「観心本尊抄」などはたいしたものです。それをそのまま写した写
本が日昭の作った寺にありますが、それが興師様のお筆のものなのです。そばにいなかったら、書けるわけがな
いではないですか。
もう一つの大きな証拠は、仙台公がひじょうに大事にした「飛び曼茶羅」という御本尊があります。いまは仙
台の仏眼寺にありますが、この御本尊が、日蓮大聖人様が途中まで書いたあとを興師様が書いた。おふたりの合
作です。
おそばにつねにいる人のことは手紙にも出ないものです。そばにいるものに手紙をやるわけはないではないで
すか。あなた方、女房に手紙をやった覚えがありますか。そういうわけです。