なぜ五老僧は御本尊を粗末にしたか

 

【問】「富士一跡門徒存知の事」(御書全集一六〇六ページ)の中で、日興上人様が、五人(日昭・日朗・日向・日

頂・日持)と義絶する理由のなかにその五人が、人が死んだ場合、御本尊を曼茶羅だといって、死んだ人にか

けて埋めたり、ひじょうにお粗末を申しあげているから、という意味のことが述べてあります。それについて、

他の御消息文を読みましても、日蓮大聖人様がいかにこの御本尊様というものを大事にされていたかというこ

とがわかると思うのです。そうしてみますと、五老僧といわれる方は、日蓮大聖人様につねにそうとう訓練を

受けてこられた方ではないかと思うのです。そのような方が、どうして、日蓮大聖人の御本尊様をお粗末にあ

つかったかと、それがどうしてもわからないのですが、お願いいたします。

 

【答】じつにいい質問をしてくれました。

 この問題についていわなければならないことは、二つ三つ四つとありますが、第一に五人は、日蓮大聖人様の

おそばで給仕が足りなかったのです。みな日蓮大聖人様に服して、南無妙法蓮華経ということをひろめにかかり

ましたが、おそばでほんとうの、真実を聞く時間が少なかった。これが一つです

 

 それから、日蓮大聖人の仏法のゆき方を、おそばですっかりみないからわからない。なぜかならば、第一番に

日蓮大聖人様がおおせあそばしたのは、南無妙法蓮華経へいれる前に、法華経、法華経とおっしゃったのです。

 

これは「教相・観心」という二つに分けていくことが大事です。ところで、当時の五老僧は、教相の面において

みな服したのです。そのころの学者は、みなそうでした。法華経ということは知っているけれども、南無妙法蓮

華経の真実がわからない。日蓮大聖人様は、まず南無妙法蓮華経ということをしみこませたのです。それから佐

渡へおいでになって、御本尊がご出現になるわけです。そして、佐渡から帰られてから、未来のわれわれにたい

して、戒壇の建立と、この三つ(三大秘法のひろまる順序)に分けていらっしゃるのです。そうなると、佐渡以後

の本尊建立については、五老僧はわからないのです。ですから、御本尊とはどれほどのものかということは、

「常随給仕」と申しまして、そばについて離れなかった御開山日興上人しかわからなかったのです。これを「唯

授一人」といいまして、ただひとりしかわからぬのです。

 

 いまのように、交通機関が発達しておりませんし、日蓮大聖人様の化導の方法が、題目、本尊、戒壇と、こう

でているのですから、いっぺんにだしてくれたら助かったのにと思うのですが、南無妙法蓮華経とこういうこと

を聞いたことがない人たちに教えるのですから、南無妙法蓮華経とわかっただけでも感心です。しかも、地方在

住の棟梁なのですから、南無妙法蓮華経だけ覚えて、御本尊様を覚えないでしまったのです。それゆえに、御開

山様はお叱りになったのです。「南無妙法蓮華経がわかったら御本尊様がわからないわけはないではないか」と。

あのころ、天台のような、アミダのような儀式があって、死んだら棺の中へ入れてやるのです。アミダとか大日

如来をくっつけてやるというわけです。ですから、日蓮大聖人様の御本尊を平気で棺の中へ入れてしまうのです。

それで、御開山様が「もったいない、ぜんぶ御本尊様は集めろ」と、こういうご命令をだして御本尊を集めたの

です。だから身延なんか、なんにもないわけなのです。身延にある本尊は、三千円で彼らの仲間で買った本尊が

あるだけです。このあいだ買ったのです。だから、題目論はわかったのですが、五老僧は本尊論がわからないの

です。そこが、「三重秘伝」の奥義なのです。いま、学会で三重秘伝という、むずかしいことをいっているのは、

そのわけなのです。五老僧は、それで御開山様に叱られたので、反対したのではないのです。「五人所破抄」(御

書全集一六一〇ページ)というのは、そういうふうに読まなければならないのです。

ましてや、五老僧が、「戒壇論」なんかわかるわけがないのです。そういっては、「また戸田の野郎、景気のよ

いことをいう」と思うかも知れませんが、七百年後に出て、戸田城聖がまさに解決せんとしているのであります。