なぜたくさんの宗教があるのか
【問】宗教というものは、どうしてたくさんあるのでしょうか。
【答】 それは、自分なりに悟った教えを説く人がたくさんあるからです。人生観というものは、皆違うではな
いですか。「世の中は金で、金さえあれば、人生を左右するものだ、人生は金なり」と立てる人もあります。そ
の人は金をためよう、金をためようとします。自分が金で苦労して、そうして一生を通じてくれば、金こそ人生
をしあわせにする大もとだと、こういうのです。
ところが「人生は同じではない、最後はまごころだ」という人もあるのです。自分がまごころをつくしてあげ
て、認められて出世した人は、まごころだという。
いろいろの経験を通して、人々に説く人がたくさんいるから、たくさんの宗教ができるのです。その中で、く
らベて、大乗教と小乗教が出てくるのです。
ある一部分の人にしか通じないものを小乗教というのです。みんなのものにあてはまるものならば大乗教なの
です。悟りの中にも、マホメットの悟りもあれば、キリストの悟りもあります。どれがいちばん正しいかは、文
証・理証・現証でくらべてみる以外にはありません。
どうしても、自分の経験から説くものですから、たくさんのものが出てきます。経験は皆、千差万別です。不
完全な悟りもあります。不完全な悟りだったならば、これはだめなのです。だけれども、その信仰は、日蓮正宗
を除いては、ぜんぶ不完全です。
完全な悟りは、釈尊と日蓮大聖人様しかないのです。「在世の本門と末法の初は一同に純円なり」(観心本尊抄二
四九ぺージ)と。あとの人たちは不完全なのです。
このように比較検討して、いちばんいい宗教をえらんでいくのが、われわれの立ち場なのです。信仰をたくさ
ん説くのは、ほかのものとくらべて、自分の方が悪いということが、わからないから説くのです。おれの方がい
ちばんいいなどと説くのは、増上慢の人が多いのです。
増上慢ではないけれども、こういう悟りを持ったけれども、さて、釈尊はなんていったのだろう、どちらがい
いのだろうか、それでは釈尊の方が偉い、となれば、釈尊に帰依してゆくのがほんとうでしょう。それなら一つ
になるでしょう。釈尊より、おれの方が偉いと思うから、二つになってしまうのです。日蓮よりおれの方が偉い、
などというのがたくさんいるのですもの、だからたくさんの宗教が出てくるのです。増上慢から出てくるのです。
末法には、とくに増上慢が多いと、釈尊は予言しています。