御本尊とならべてアミダを拝んでいる

 

【問】私の折伏した人が、入信して一か月ぐらいして、一度謗法払いしたアミダの掛軸をまた持ってきて、御

本尊様とならべているが、どうしたらいいでしょうか。

 

【答】それはそのままそうさせておいてみなさい。法力がどれだけあるか、かわいそうだけれども、しみじみ

とよくわかる時がきます。

 で、こういうこともあります。私のごく仲のいい親友で、栗山君という人なのですけれども、その人はひじょ

うに親孝行でした。そして邪宗の法華経の本尊を拝んでいたのです。それは母親が拝んだ本尊なのです。それで

謗法払いといっても、どうしても、それだけ離さない。

 ある日、私が、ちょうど御書を読んでいたのです。朝、その人がそこへ用事があってやってきた。それから私

がその御書の個所を示して、「栗山君、私がしょっ中いうのは、日蓮大聖人様はこうおっしゃっていたのだ。こ

この御書が君の胸にわかれば、ふだん私がいっている御本尊のお力はわかるだろう。こういうものなのだぞ」と

御書をひいて話してやったら、その日に御本尊様をとりかえました。

 ですから、まだあなたが、指導能力がないのですから、そんなに、くよくよしなくてもいいのです。一度折伏

したのですから、これは金剛宝器戒(教行証御書一二八二ページ)と申しまして、たとえ途中でアミダと取りかえ

てみても、ひとたびいただいた御本尊様は未来永劫捨てることはできないのです。

ですから、折伏してやったのですから、会うたびにいつでも、いってやりなさい。ただし、そのことによって

悩む必要はありません。

 しかし、時が来ます。これはおもしろいことでして、おもしろいといってはおかしいですけれども、折伏して

入信して、途中で退転するでしょう、すると、ろくなことがないのです。その姿をわざわざ見せにくるものです。