鶴の紋について
【問】鶴の紋は万才の紋だといわれましたが、どういうわけでしょうか。
【答】 鶴丸が万才の紋ですって? 万才でもいいではないですか。いったい紋というものは、いつできたかと
いうことが問題です。だから私は、若い人たちに、本を読みなさいというのです。きょうも、輪送班の青年に本
を読まないと、学問しないと、人間はできないぞといったのです。
紋はいつできたか、という問題ですが、湊邦三君がいま、日蓮大聖人様の小説を書いています。そうすると、
鶴丸の紋をどうあつかうかという問題が出てきた、それで日蓮大聖人様がお生まれになったときに、それを、め
でて、送ったというふうに書こうかと考えたが、それは、九十二でいらっしゃる畑毛の堀猊下が笑ったそうです。
猊下は笑うわけです。日蓮大聖人様の紋などはありません。
風呂敷というの知っていますか、そこからおぼえていかなければなりません。風呂敷というのは、足利義政と
いう男が、おりまして、それが、風呂というものを作って大名たちを入れたのです。ところがその風呂に集まっ
てくる侍大将というものは、みな教養のない人間なのです。教養がないいなかの武将が集まってくるのです。そ
して、人のものを持っていくのです。いまでも、よく、いい靴があるとはきかえていくでしょう。そんなのはま
だいいのですけれど、むかしは、人の鎧まで持っていってしまうのです。それで、風呂にはいるときに、敷いた
そのものに、紋をつけて風呂敷というのです。うそではないからよく調べてごらんなさい。
それから、いよいよ日蓮大聖人様の仏法が軽べつされて、ひろまらないわけですから、日蓮大聖人様のおっし
ゃられた自界叛逆といいまして、戦国時代というのが起こったのです。そこでみな、自分はこんなふうに強いぞ、
おれはこうだぞ、というために背中に旗をたてたのです。そのとき、皆、紋というものを作ったのです。おれは
こういう紋だ、おれはこの印だと。だからごらんなさい。とうもろこしをきざんだみたいな紋だとか、きゅうり
を横にしたような紋だとか、桐の葉っぱだとか、菊の葉だとか。そうして紋というものが起こったので、徳川時
代に、本山でも、紋をつくらなければならないというので、鶴丸の紋ができたのです。
いいですか、日蓮大聖人様の家に紋があったのではないのです。大石寺の石はたった六百石、石高でいえばた
ったの六百石です、しかし位は十万石の位なのです。そういうために、江戸へのぼったときに、印がなくてはな
らないから鶴の丸を作ったのです。だから、万才の紋ではないのです。日蓮大聖人様のときから鶴丸があったわ
けではありません。万才の紋がなんだか、知っていますか、向こうがまねして作っただけのことです。