大御本尊の左右にあるのはなんですか
【問】奉安殿の大御本尊様の左と右におまつりしてあるものがあります。あれはなんですか。
【答】あれは猊下のご説法がめんどうなのです。東の方、西の方とおっしゃるのです。そうすると、東、西と
おっしゃるとわからなくなってしまうのです。どちらが東でどちらが南だか、わからないでしょう。
それは、天子南面といいまして、インドと中国と日本とこれはいろいろちがうのです。それで、大御本尊様が
ここにいらっしゃるとします。そうすると、こう向かっていれば、南に向かっています。南に向かっていればど
ちらが東になりますか。左が東、こちらが西と、こうなります。天子南面の儀式からご説明あそばされているの
です。そして、こちらから向かって右にあるのは、日法上人様という方が、大御本尊様をおつくりになった木の
はしで、ご彫刻を申しあげて、それを日蓮大聖人様のお姿にきざんだのです。これを御影様、最初の御影様です
から、最初仏様といわれます。
また、こちらから向かって左側にあらせられるのは、日蓮大聖人様のお骨なのです。身延の山に、お骨がある
などというのはうそです。あるわけがありません。お骨は日興上人様が富士へもっておいでになったのです。あ
れがほんとうのご真骨です。
ところで、畑毛というところがあるのです。そこは温泉です。畑毛は日目様が、お生まれになったところです。
この畑毛に九十二歳で、五十九世の、御隠尊猊下(日亨上人)がいま、おすまいでいらっしゃいます。この方は、
仏法のことになんでも通達していらっしゃるのです。いま、富士宗学要集という本を作っておられて、今度で九
冊目です。ほんとうは、まだあります。百何十帖とあるのです。これは山喜房という本屋が少しはもうかるだろ
うとやった仕事です。私も応援しているけれども、りっぱなものです。あなたがたはぜんぶそろえていますか。
たった十冊です。おそろえなさい。そしてまた、このあと、まだ百何十冊、これも私の一生の間に作ってさしあ
げたいと思っています。この猊下が「身延の骨も見た」とおっしゃるのです。九十二歳になるまでいろいろと研
究し、見たりしているので、まったくなんでも知っているのです。だから、どこも日蓮正宗にたいして、いっさ
い教学的な議論をもちかけないのは、この猊下が、いらっしゃるからです。なんでも知っているから、かなわな
いのです。
この猊下のお話では、「戸田君、あれは火葬にした骨ではないね、多すぎるよ」身延にある骨があのようすで
は多すぎる、あれは火葬にした骨ではないというのです。生(土葬)の骨だというのです。ところがお山のお骨
は、ちゃんと火葬にした骨なのです、量は少ないのですがそういうわけなのです。
堀日亨上人にお会いしますと、とてもおもしろいのです。そしてまた、やかましいのです。お山にくると、南
無妙法蓮華経と唱題して、みんながおがむでしょう。それがうるさいから、「奉安殿のすぐわきからトンネルつ
くれ」というのです。まことに愉快な猊下であります。そういううるさい方なのです。とてもやかましいのです。
おもしろい話を聞かせてあげよう。
それは、むかし、いまの御書をつくるのに猊下のところへいったのです。いろいろの材料がほしいでしょう。
だから、堀日亨上人のおそばで手伝っていた御僧侶と奥さんに、カギをわたして、そして「持ってこい」といっ
た。ところが、倉庫があかないのです。倉庫といっても、ちゃんとしたりっぱな土蔵といったらたいてい金が入
っていると思うでしょうけれど、猊下の土蔵には、本しかないのです。猊下が「あけてあの本を持ってこい」と
指示したのです。ところがあかないのです。カギにくせがあって、おじいさんと同じくせがあるのです。「あき
ません」といったら、いったことばがおもしろい。「石川五右衛門に恥じろ」というのです。石川五右衛門はカ
ギがなくてもあけてはいった、カギがあってもあけられないのは、石川五右衛門に恥ずぺきだ。そういうおもし
ろい猊下なのです。