鐘をたたく理由
【問】邪宗の坊主に、鐘をたたくわけを聞いたところ、むかしの頭のいい坊主が考えたのだといっていました
が、日蓮正宗で鐘をたたくその根拠について教えて下さい。
【答】それは、仏様を賛美するために、鐘や、いろいろの音律、早くいえば音楽です。音楽を奏して、仏の心
をやすめたてまつるのです。それが鐘のもとなのです。だから、鐘は、ガンガンたたくものではないのです。あ
れは御本尊様にたいして、仏様にたいして、心をやすめてさしあげるということです。それは、法華経の方便品
を読めばはっきりしています。
仏様の心を安めるためにという、三味線があのころあったら、やったかもしれません。そうなったらわれわれ
は困ります。まさか御本尊様に三味線ひくわけにいきません。ともかくも、あのころの音楽なのです。うそだと
思ったら、朝あそこで鐘をたたくでしょう。あれをたたけるようになるまでには、たいした時間がかかるのです。
あれは七五三にたたいているのです。あれは音楽なのです。ただかってに、たたいているのではありません。
消防自動車が鐘をたたくのとはちがう。それは、消防自動車が音楽をやりながら、火事を消しにいくなどという
ことは、みんなおこってしまいますけれども、そうではないのです。お山の鐘は、七五三にたたいているのです。
ですから音律があるのです。
だから私は安い鐘はだめだということをやかましくいっているのです。ほんとうの鐘は、金がいいのです。こ
のごろのものは金などいれないから、安いので作ってしまう。それが鐘を打つ大もとなのです。三つたたいてよ
いか、七つたたいてよいか、そんなことは問題ではありません。あの鐘をたたくときには、一つには皆並んでお
経をあげているときに、やめろ、はじめろ、という意味でたたくのです。これは合図なのです。ところがほんと
うの気持ちは、仏様に安心させるために、仏様をなぐさめてあげるのです。