御本尊の罰について

 

【問】二年前入信して、その後、御本尊様を返却したところ、そうとうな罰を受けました。ふたたび今年四月

二十二日に入信しましたが、またあれやこれやの罰が出て、五月一日には、相手が人事不省になるほどの交通

事故を起こしたので、班長に指導を受けておわびに登山しましたが、今後も、罰が出てきますか。家族の考え

としたら、もしも罰が出てきたら、とてもおそろしくて、御本尊様を持っていられない、「さわらぬ神にたた

りなし」だから、また返した方がいいのではないか、というのですが。

 

【答】罰という問題ですが、これは、仏様が罰を与えるというふうに取るのは大間違いです。罰というものは、

自分の持っている運命が出るものなのです。罰を与えるとかなんとかということを、よくいっておりますが、そ

んなものではないのです。

 

 罰というのは、宿業のことなのです。自分の身にもっているものが出るのです。それを罰とも宿命ともいうの

です。どんな仏様でも、罰なんか与えるわけはありません。ただ出るだけのことです。御本尊をもっていると軽

く出るのです。山に登った者はかならず降りなければならぬと日蓮大聖人様はおっしゃっています。過去世から

もってきた宿業は、かならず出さねばならぬとおっしゃっています。ですから、罰というものは、わが身にある

ものが、出るのです。それが軽く出るのが、この仏法の極理なのです。ですから、おそらく、いま苦しいかも知

れませんが、軽いものだと思っております。もしそれが、この御本尊を受けなかったら、重く出るのではなかっ

たかと、私は思うのです。この御本尊をいただいておりますれば、出るのが軽く出るのです。この片腕を取ると

いう宿命の場合、小指一本取られたとします、片腕の代わりに、小指を取られるということを知らない場合には、

御本尊様を拝んで小指を取られたではないか、そんなばかな話はないではないかと思うのです。しかし、片腕を

取られることがわかっていて、小指が取られたのなら「ああ、助かった」と思うのです。

 

 そこです。これを転重軽受法門というのです。そういう法門の理でありまして、私はいまのご質問の方は、そ

れでも、軽く受けているのではないかと思うのです。ここで、また、御本尊を捨てたら、その運命は、また重く

来るのです。軽く受けさせてやったのに、まだ文句いっている。そんなばかな話はないではないですか。それは、

罪というものは、それで消えているはずなのです。二度続くはずはないわけなのです。軽く受けているのです。

私は、そう断じます。ですから、それを、変毒為薬と申しまして、毒を変じて薬となす。そのことがあなたの信

心と、あなたの誠意とによって、かならず軽く、そしてまた、そのことが、あなたの一生の生活に、得になって

くるはずです。変わってこなければならないはずです。まだ、これはほんとうの信心ではありません。いま、あ

なたは苦しいでしょう、なげくでしょう、つらいでしょう、そのことがしあわせに変わらなかったら、ほんとう

の信心ではありません。御本尊様はほんとうであるというわけにはいきません。悩み、苦しみ、そのことがしあ

わせに変わってこなければいけない、それが御本尊様の功徳なのです。ですから、総本山に登った以上には、大

御本尊様にたいして、あなたの心からのことをお願いしなさい。かならずとおります。とおらなかったら御本尊

様ではありません。かならずあなたの願いどおりになります。おわかりですか、御本尊を返すなどとは根性がよ

くありません。そんなことをするからろくなことがおこらないのです。ただ宿業のままに出てくるのです。御本

尊様を拝んでいれば、宿業のままに出ても、軽く出ます。同じ形で出るけれども、軽く出るのです。それでそれ

が、ご利益に変ずるのです。そこが大事なことなのです。この御本尊様のありがたさはそこなのです。持ってい

る宿業のままに出て、それが罰として現われるのですが、宿業のままに出て、そのままで終わったのでは、たま

ったものではありません。前のなにをやったか知らないことが出てくるのですから、こちらが悪いことをした気

持ちはないのですから、前の世でやったからといって、出られたのではたまったものではありません。どうです

か諸君、それは軽く、出してもらって、それがこっちのもうけに変わらなければなりません。それを変毒為薬と

いうのです。毒を変じて薬となす、そこが大事なことなのです。中風で困っている、それは前の世で中風になる

ようなことをしたから中風になっているのです。それが釈尊の説法です。そんなことを聞いて「ああ、そうでご

ざいますか」といって、中風で「うんうん」いっていても、たまったものではありません。その中風がなおって、

そして前よりじょうぶになったら、毒変じて薬となったのでしょう。それでいいではありませんか。「おまえは

貧乏している、前の世でドロボーしたからです」「それでよくわかりました」とわかって貧乏したってしようが

ないではありませんか。

貧乏変じて金持ちになった。けっこうなことではありませんか。それが御本尊の功徳なのです。悪い宿業変じ

て、いい宿業に変わる、それが変毒為薬ということです。いま、あなたの苦しみは、そのまま変じて、かならず、

薬にならなければならないはずです。

 

 私のいうことを信じて、御本尊様に向かって、御開扉願った後であったならば、こちらの、これは御開山日興

上人様の御本尊ですから、この御本尊様にきちんと、お願いして帰りなさい。かならず願いどおりになるはずで

す。ならなかったら私のところへ、文句をいってきなさい。断じてひき受けます。