りっぱな折伏をするには

 

【問】私が折伏した人が、御本尊様を何回も不敬しました。今後はよい折伏ができるでしようか。

 

【答】 これは難問です。何回も不敬したというのでは、よく罰論をいっておきましたか?(いいません)それ

があなたの悪いところです。御本尊様には功徳があります。また反対すれば罰があります。罰はあたるのではな

くて、自分の命から出るのです。利益も罰も出る規則があって出るので、自分の力ではどうにもなりません。御

本尊様を拝み、題目を唱え、折伏をすると、それが源動力となって功徳が出るのです。初代会長牧口先生は、罰

論専門で利益は後まわしでした。私は利益を先にしています。これが初代と二代の違いです。

 

 初代会長が罰論をいった時、罰論は創価学会がかってに作ったものだといって、坊さんのあいだにもずいぶん

非難がありましたが、これは創価学会が作ったものでもなんでもなく、御本尊様がきちんとおっしゃっているの

です。うそだと思ったら、御本尊様をよく拝んで見なさい。

 右のかたには「若し悩乱せば頭破七分」と罰論が、きちんとあります。また左のかたには「供養することあら

んものは福十号に過ぐ」と功徳論が厳然としてあるのです。ゆえに御本尊様をそまつにすると罰があるのです。

 

 このことをあなたがはっきりいっておかないからいけない、罪はあなた自身にあるのです。いま、たとえて見る

に、清水に汚物を少し入れます。少しだから飲みなさいといわれて飲めますか。これと同様に、信心は清らかな

法水です。疑ったりそまつにすれば、法水をぜんぶ汚してしまうのとまったく同様なのです。