御本尊が久遠の儀式だということは

 

【問】私たちが拝んでいる御本尊様のお文字が、久遠の儀式だということをうかがっていますが、どういうわ

けでしょうか。

 

【答】 一応は久遠の儀式の姿が、ここに現わされているのです。しかしそれはそのまま日蓮大聖人様のご生命

であり、大宇宙の生命であり、われわれの生命ではありますけれど、それが一応の形は、南無妙法蓮華経日蓮と

あります。南無妙法蓮華経とは久遠元初の自受用報身如来、日蓮とはその久遠元初の自受用報身如来と同じ方で

す。ですから南無妙法蓮華経日蓮とあるのです。南無妙法蓮華経仏とはすなわち日蓮なりと読んでもいいのです。

日蓮大聖人様がまん中にデンとお坐りになっているのです。その右側に多宝如来様が坐っています。左側に釈迦

牟尼世尊が坐っています。そうするとこの後の方に、ずーっと分身の諸仏が集まっています。梵天にとどくほど

ずーっと階段のようになっているのです。たとえていうと、国技館の座席みたいになって集まっているのです。

 そのまえには地涌の菩薩の棟梁、上行菩薩、無辺行菩薩が多宝の方に向かいあっているのです。こちらの方

には、安立行、浄行様がお坐りになっています。その地涌の菩薩としてわれわれが雲霞のごとくずーっと並

んでいるのです。われわれもそこへ坐っていたのです。ボヤボヤして後の方で居眠りなんかしていた人が、いま

になって教学がわからないのです。その次には、薬王菩薩、文殊、それから弥勒、こちら側には文殊の次は普賢

です。観音もきているしその他の菩薩がずーっとならんでいます。その次には、舎利弗、目犍連、そのほかに声

聞階級がならんでいます。その他の天、竜、夜叉、乾闥婆、迦楼羅、摩睺羅伽、緊那羅という連中が雲霞のごと

くならんでいるのです。そうして、南無妙法蓮華経と唱えた儀式が、御本尊の儀式になっているのです。だから、

あなたが題目を唱えるのは、その地涌の菩薩の中のひとりとして、あなた方はいま唱えていると思っているでし

ょうけれども、じつは久遠元初以来、日蓮大聖人様に向かって題目を唱えてきているのです。そういうわけです。