佐渡始顕の本尊

 

【問】佐渡始顕の御本尊様について話してください。

 

【答】 佐渡始顕の御本尊はこ直筆はないはずです。しかし、日蓮大聖人様が、佐渡で初めて御本尊様をおした

ためになったということは正しいのです。もっとも、そのまえに、本間六郎左衛門におしたためになった御本尊

様がありますが、これは南無妙法蓮華経だけです。それが寺泊かどこかに一幅あります。しかし、いまのような

久遠元初の自受用報身如来の当体であり、中央の南無妙法蓮華経という、その仏の脇士として、釈迦多宝の二仏

がおつかえする形の御本尊というものは、佐渡で初めてあらわされたものです。

 ところが、佐渡始顕の本尊が有名になったのは、田中智学君からです。田中智学という人はご承知でありまし

ょうが、一派をひらいたような気分でいた人です。あれは「横浜問答」(明治十五年、日蓮正宗と蓮華会との問答)

でさんざんやられたのです。それで、東京にいられなくなって、大阪へ逃げた。ところが大阪の蓮華寺の信者も

強いので「ようし、こい」と待っていた。そこで大阪にもおれなくなって京都へ行ってしまった。京都でいろい

ろやったが、初めて三大秘法ということを覚えた。それで東京へ帰ってきて、今度、佐渡始顕の本尊といい出し

たのです。そして「本尊は佐渡始顕によるベし」といい出したのです。

 御本尊にもいろいろありまして、桑名の寺にある御本尊は左不動と申しまして不動明王は右にあるべきなのに

日蓮大聖人様は左におしたためになられています。それから臨滅度の本尊と申しまして、日蓮大聖人様がおなく

なりになったときにおかけになって拝んだ本尊があります。これがほんとうの本尊だなどと身延でいい出してい

ます。日蓮大聖人様がおなくなりになるとき、魂がとびこんだから、その本尊がほんとうだといっているのです。

とびこんでもいいでしょう、しかしこれが身延にあるかというと、これがないのです。ただ大石寺の一閻浮提の

本尊がいやなものだから、臨滅度の本尊はいい、などといい出すのです。これは鎌倉にあって、その写しが池上

にあるといっています。

よく身延は紫宸殿御本尊がだめだといいますが、自分の所には何もない。「大石寺はだめだ、あっちにある、

こっちにある」といっているのです。

佐渡始顕の本尊は、御本仏が出現をして、御本尊を顕わし、この本尊をもって一切衆生を救っていくことを三

世十方の仏菩薩に、宣言したものですから、対告衆がない。ただ拝み奉るだけなのです。

田中智学は一宗をたてても、自分の本尊がない。そこで佐渡始顕の本尊ということをいい出したのです。ちょ

うどあいていたところをつかんだみたいなものです。そしていまの田中智学派の本尊としたのです。ところが田

中智学のかたみともいわれ、相棒ともいわれていた山川智応は、なかなかの学者なのです。この人の書いた書物

の中に、いまいわれている佐渡始顕の本尊は、本物でないとはっきりいっているのです。これではどうにもなり

ません。

 この本尊は、どういう本尊かというと、徳川時代に、佐渡から出開帳というのをやったのです。出開帳という

のは、佐渡まで本尊を拝みに行けないから、それを持ってきて、東京で拝ませて、サイ銭を集めて帰ろうと、金

もうけにかついでやってきたのです。ところがあんまりみいりがないので、帰れなくなりましたので、質に入れ

て帰ったのです。そのことが山川智応の本に書いてあるのです。それを何とかいう大名がうけ出して、それで、

流れ流れたのです。

もし、本物であるとしても、質屋へはいったのでは、もったいない。また本物の御本尊が質へはいるわけがあ

りません。

 その証拠には、有名な仙台の仏眼寺の飛び曼茶羅がそうではないですか。檀家の家へあずけておいて、その家

が火事になって倉が燃えてしまった。ところが、青葉城の堀の松の枝に何かおかしなものがかかっているのです。

何だろうと見たらお曼茶羅ではないですか。仏眼寺の重宝で、日蓮大聖人様と御開山日興上人様合作のお曼茶羅

です。それで、仙台公は何かの儀式の時には、自分のもののように使っていました。今度、ようやく仏眼寺へ帰

っております。

 御本尊様は、これほど功徳があるのです。本物だったら、そんな質屋へはいるわけがありません。牢へはいっ

たみたいなものです。それは法難だといえばそれだけのことですけれども。