三 撃
(一)
巌さんの獄窓生活は実に規則正しいものであった。一日に法華経をどこまでよむ。題目の数は一万遍以上あげ
たい。御遺文も必ず読むと決めているのだからその忙しさといったらないのである。
『こんな牢屋住いでもこんなに忙しいものかな』
と一人ごとをいって笑ったこともあった。法華経二十八品を三度も読み返して、どうしてもその意をつかむこ
とができない。
彼は仏教研究の初歩からやりなおすことに決めた。
『仏とはいかなる実在ぞや』
『南無妙法蓮華経とはいかなる実体ぞや』
こういう初歩的な悩みの思索に、へとへとにつかれるまでになったある日のことである。無量義経を前にして
巌さんは長い思索にはいった。
『大いなる哉 大悟大聖主 垢なく染なく 所著なし 天人象馬の調御師 道風徳香一切に薫じ 智恬かに情泊
かに慮凝静なり 意滅し識亡して心亦寂なり 永く夢妄の思想念を断じて 復諸大陰入界なし その身は有
に非ず 亦無に非ず 因に非ず。縁に非ず 自佗に非ず 方に非ず 円に非ず 短長に非ず 出に非ず 没に非ず生滅に非ず 造に非ず 起に非ず 為作に非ず 坐に非ず 臥に非ず 行住に非ず 動に非ず 転に非ず 閑静に非ず 進に非ず 退に非ず 安危に非ず 是に非ず 非に非ず 得失に非ず 彼に非ず 此に非ず 去来に非ず 青に非ず 黄に非ず 赤白に非ず 紅に非ず 紫種種の色に非ず 戒定慧解和見より生じ 三昧六通道品より発し 慈悲十力無畏より起し 衆生善行の因縁より出でたり』
彼は仏の三身の説を知らなかったのである、ただ此の経典から仏の実体を汲み取ろうとして思索に入ったので
あった。次下の応身の説においてはほぼわかるような気がしたが、法身報身を説かれていたこの無量義経の説に
は彼はほとほと当惑したのであった。
思索すること数時間、彼はハタト手を打ったのであった。
『仏とは生命なんだ、生命の一部の表現なんだ、それは外にあるものでなくて自分の命にあるもんだ、いや外に
もある、それは宇宙生命の一実体なのだ』
喜びに満ちて彼は椅子より立つや否や二畳の畳を行きつもどりつした。彼は興奮し頬は紅に輝き目は梟の目
のように光っていた。そして行きつ戻りつしつつ、春のにぶい光線があたっている窓をみてもう三時かと思った。
早い昼飯時間から考えて、四時間も題目をとなえながら考えている自分を思い出した。
時計もない部屋で三時を知る彼にはひとつの方法があった。日の当たる窓の影の長さで時間を計る工夫をこら
したのであった。それは冬と夏とでは大へんな違いをもっていた。それを室内の行事で時間を計って看守に時間
を聞きながら、影の長さによって大体の時間を知る仕組みにこしらえたのであった。
『四時間、長いようであるが一生の問題であれば瞬間に等しい。この結論をつけたことに間違いないと思う。だ
が大聖人の御書にてらして今一度吟味の必要があろう』
この時を契機として十界互具百界千如一念三千の仏法がわかるような気がしてきた。
(二)
彼が喜びにふるえているその日は、三月というもまだ寒い頃であった。
突然に入浴用意の声が聞こえてきた。文化の進んだ牢ごくの法則として、お湯へ入れるということはひとつの
法規として定められているものであった。一月に三回あるいは四回風呂へ入れることになっているが、苛烈な戦
争下では思うにまかせぬものがあった。看守達としては、拘置所の日記に何月何日に風呂へ入れたということが
記されなくては役目が立たないのである。
我々が家庭で風呂へ入るようなゆったりしたものではない。五分間に限られた時間の中に入って身体を洗うの
であるが、囚人の身にとってはこの上なくありがたいことであった。戦争の苛烈でないときはゆっくり入れたそ
うであるが、この頃ではお風呂に入れたという事実が認められればよいことになっているらしい。囚人のために
囚人を風呂へ入れるのではなくて、看守のために囚人を風呂へ入れるのであった。単なる義務であり、単なる行
事であった。
巌さんはその実情を充分知っておったけれども、仏教初歩の一行を読み得た喜びのあまりにうっかりとシャツ
をぬぎ手拭をさげて、一あたたまりというような、簡易な気持ちで出かけた。四五十人のむれは風呂へと続く。
その風呂といえば、三尺に四尺位のものであった。
前の者が続々と出てくると、巌さんもうっかりはだかになって風呂場に入った。
『早くするんだぞ』
こういう声を聞きながら入った風呂の熱さといったらやけどをするぐらいであった。看守にすれば風呂場を囚
人が通りぬけさえすれば仕事が済むんだし、囚人の方にすれば三十分もシャツなしでまったく冷えた身体を温め
たいのが当然のことである。
巌さんははたと当惑した。そしてひとりでつぶやいた。
『奴等はどうして入ったんだろう』
手桶に半分ほどお湯を入れて水を足した。それを身体にかけた、冷えた身体はなかなか温まらない。今一度お
湯を取って水を入れて身体にかぶった。水の出る出方にも時間がある。心はあせるばかりであった。また一面こ
んな心が浮んできた。このお湯を自分ひとりでこんなに無駄にしたら後の者が困るであろうと。
身体にかけるお湯を作ると、彼はそのお湯が風呂桶の中に落ちるように、身体を斜めにしてお湯をかけた。お
湯は三分の二位は風呂桶の中に帰っていった。彼はお湯を粗末にしなかったことを心に喜びながら身体の温まら
んことを願っていた。その時、突然看守の声がした。
『この野郎、町の風呂へでも入っている気持ちか、生意気に、ゆうゆうと身体にお湯をあびるとはけしからん奴
だ。おうちゃく野郎』
声が終わらぬうちにピシャリピシャリと三度彼の頬はなぐられていた。彼はぐっと立ち上がってその看守の胸
ぐらをつかんで、一気に声をはげましてどなろうとした。しかし看守は絶対の権威者である。彼、巌は何らの力
なき小羊の如き者である、ただ身体をふきながら無念の涙がはらはらと流れるだけであった。