獄窓の生活


       (一)
一月ほどで検事の取り調べはすんだ。彼の考えではこれからすぐ判事の取り調べがあって、判事の取り調べも
一月か二月とすれば、正月前後には帰れるという目算である。
彼の毎日の考えはただ帰りたいの一念であった。起きても寝ても外部の人々を思うのみである。妻や子はどう
しているか、会社の連中は苦労はしていないだろうか、しかしまあ待ってろよ、私が自由の身となったら事業の
しくじりが少々出来ていたとしても、必らず回復させて見せる、それにつけても同志の連中はどうしていること
だろうか等と思いふけることのみであった。
小娘のような感傷にとらわれたりして、その苦しさを忘れるために、彼は小説に読みふけって時間を消すのに
夢中であった。何の思索も心が落ち付かないので出来なかった。ただ一日がたてば一日がたてばと思う心で一杯
であった。
朝七時に起床して起きるとすぐ熱いお茶をどんぶりにひとつもらうのである。お茶といっても少し色が着いて
いるなと思うほどのものである。熱いことはべらぼうに熱かった。熱いお湯というものは食料のない世界では、
非常においしいものであるということを発見した。熱いお茶をのみ終わってから掃除にかかるのである。
 その掃除の途中か前かに点検といって、看守長の次位の人がドアの入り口に立って人間がいるかいないかを見
極めるのであった。その時、おりの中の動物どもは、そのえらいお方へピョコリとおじぎをしなければならない。
巌さんもその動物の種類であったことはまちがいない。おじぎがすむとたんねんに三畳の間を美化しようと努力
するのであった。
八時前後に食事がはこばれる。麦六分、米四分のにぎり飯といってよいもの、米はのりになって、麦をつないで
いた。麦ならまだしものこと、戦争が苛烈になるにつれて麦は大豆と変わり、大豆はコウリャンと変わっていっ
た。一杯のおみおつけ、それが唯一の珍味である。巌さんは日一日と食料に飢渇を感じてきた。まずくとも朝食
がすむとお勤めにかかる。獄舎では大きな声で題目をあげることは許されない。巌さんはそんなことはおかまい
なしだ。始めのうちは隣りから、下の部屋から苦情が出て時々看守もやって来たが、しまいにはあきらめたらし
い。
一時間半ほどのお勤めが済むと、小説にとりかかった。三時頃運動に十五分ほど出られるだけで、小説に夢中
なのである。いよいよ夜となって九時迄の間、お勤めを始めるのである。
このように単調な生活が続いて年のくれともなった。年の暮れる十日ほど前に、読むものもなくなった巌さん
は、看守に小説をかしてくれと申し出た。
ここのしきたりとしてそんなわがままは許されない。きまった日にその図書館にある本の借り入れを申し込ん
で、そこから配達を受けるのであった。彼はおもしろそうな小説を一冊みつけてそれを申し込んだ。ところが配
達されたのは、日蓮宗聖典であった。前の方に法華経二十八品と、無量義経と観普賢経がのせられていて、その
次には大聖人の御書がいろいろとのせられている。
巌さんは困った顔をした。その困った顔は人に見せられるものではない、複雑多岐な心持ちがあらわれていた
からである。


(二)
巌さんは日蓮宗聖典を読もうともせず机の片隅に飾っておくことにした。そして差し入れの小説をよむことに
決めて、年内の行事予定表を作ったのである。行事の予定表は作ったにしても、行事と行事の間には、必ずきま
って帰りたいなあ、ということは決まった規則のようなものであった。
一週間に一回手紙を書ける日がある。これは何よりの楽しみだ。今度は誰に書いてやろうかと一週間前から考
えた。その一週間かかって考えたことを二十分ほどで書きあげるので、手紙というよりは葉書であるが、封簡葉
書というのを使うので小さな字で書くと普通葉書の四倍以上書けるのである。誰に出す便りにしてもその終わり
には必ず小説を差し入れること、ビタミン剤を出来るだけ多く送れと書き添えることを忘れなかった。
おもしろいことには自分の住所を東京拘置所内とは書かないことであった。巣鴨二丁目一七七七番地と書くの
である、一七七七番地とは彼の獄内番号が一七七七号であるからである、彼の胸には襟に一七七七と書いて糸で
縫いつけてあるのである、もし獄内番号が一〇五〇号というものがおるならば、その者は一〇五〇番地と書くこ
とになっている。巌さんはこの番地を書くたびに、うまく考えていると感心したのである。
人里はなれた山の中のような生活でも、生活資料をふやし、生活を美化しようとする人間性には変わりはない。
巌さんは牢獄の規則を研究できるだけしつくした。どうしたら生活資料をふやせるか、看守…に頼みこんで、普
通、部屋の中に八冊しかおけない本を十六冊までおけるように、特別の取り計らいをしてもらった。十日に一回
位巡回して来る教戒師と仏教上の哲学を話し合うことによって仲良くなり、教戒師の手を通して二冊位余分に差
し入れてもらうことに成功した。紙や万年筆はぜったいに入らぬことを知りながら、字を書かないと気が狂いそ
うだといい出して石板と石筆を常置することに成功した。十日に一回位盆栽を売りに来る度に、四季とりどりの
盆栽を買って朝夕に水をやって楽しむこともおぼえた。部屋に点検に来る看守をふたりまで折伏して、仲間の情
勢を聞くことになったのもおもしろいことである。
朝の食事は監獄の食事を取らないで、その頃の最高のぜい沢な品であった六十銭の差し入れ弁当と牛乳をのむ
ことにした。それではおいしいことはおいしいが米の量が少ない。そこで弁当を配って歩いたり本を差し入れた
りする雑役夫と同盟を結んで、出所後払う約束の上で、余った牢内の食事を一個五円で買うのに成功もした。一
年ほどの間に二百五十個ほど支払いがたまったのには彼も苦笑したほどであった。
題目をあげるのに、その数を数えるために数珠が欲しいと思った。差し入れの効く数珠は念仏の数珠だけだと
かそれも面倒だというので断念して、牛乳のふたになっている日附入りの丸いボール紙を、糸でつないで数珠の
かわりにした。今では彼の準家宝であるそうだ。食事をかんで吐き出して酒になるかどうかという、実験用の牛
乳びんの完全なかくし場所をこしらえることができた。
一枚のもめんの布をもって、それをほごして糸にして着物のほころびを縫う材料もじゅうぶんにこしらえた。
針は入用に応じてその都度かりることができるので、そのてんには不自由はない。
常任看守には受験準備の数学を教えるので、特別な好意を示されるのに成功したので、わりあいに豊かな生活
になったといえるであろう。


       (三)
 小説に読みふけっているうちに年の暮れが来て、三十日の午後になった。鉄の扉ががたんと開いて今では大の
仲良しになっている雑役夫が顔を出した。
『おい正月に読む本を決めろといわれてきた、何がいいんだ』
『ちっとも僕のいう本を入れないんじゃないか、しっかりして、こんどはきっとおれのいう本を入れるんだ
ぞ』
『ぐずぐずいうなよ、きっといいのを入れてやるよ。そら目録だ』
巌さんは目録を受け取って小説の部を出しておもしろそうなのを一冊えらんだ。そして附け加えていうには
『きっとこれを入れろよ、まちがったら承知しないぞ』
『大丈夫だっていうのに。前に入れてあった本を返せ』
『ああそうか』
巌さんは立ち上がって机の上から日蓮宗聖典を取り出して雑役夫に渡した。
『こういう堅いものは頭が痛くなるということを君は知らんのだね。三畳間暮らしして、頭をいたくするのは僕
の性分に合わないんだよ』
 雑役夫は本とか文学とかいうものとはぜったいに縁遠い男であった。日蓮宗聖典の表紙を見ようともせず、ぽ
んと箱の中へほうりこんでドアを閉めて隣の部屋へと出掛けて行った。
明けて三十一日の午後も、夕食に近いという頃に雑役夫は戸をぱたんと開いた。『おい正月に読む本だ』
一冊の本をほうり出してまた戸を閉めて行ってしまった、年の暮れともなればこんな所でもあわただしいもの
らしい。巌さんは立ち上がってその本をつかんではっとした。
本をつかむなりどっかり入口にあぐらをかいて本を抱いたまま深い黙想に入った。その本はきのうあれほど念
を押して返した日蓮宗聖典ではないか、彼は自ら自分に問うたのである。
『正月の読物にこの聖典を読めというのはいかなることを暗示するのか』『御遺文を読むのか法華経を読むの
か』
『自分は宗学の研究をしようと一ぺんも思ったことはない、さて宗学を研究せよとの深い暗示か』
『自分は満足に法華経を読んだことがない、読んでみることにするか』
彼は日蓮宗聖典の始めの方を開いた。法華経の序品から白文で印刷され、返り点もなければ仮名もふっていな
い。彼が大学予科で学んだ漢文の力では読むだけでも骨らしい。
じっと坐っていること一時間ばかり
『ヨシ』と大きな声でどなった。
『読んでみる、読み切って見せる、法華経を読むんだ』
そういい終わるや否や、敬々しく本をいただいて机の上においた。
正月元旦から法

華経を読むことと、題目を一万べん以上あげるという重大な用事が二つ加わった。彼は難解な
法華経に勇敢にぶつかっていった。疲れれば題目をあげ題目が終われば法華経へ突進した。法華経を読むのが主
で小説を読むのは余技となったのであった。