悩 み

       (一)

 巌さんは牧田先生が、どこの署にいるのか心配でならなかった。他の同志もどうなっているのかさらにわから
ない。小竹刑事はこの事については決して口を割らなかった。
八月の半ばをすぎたある日、取り調べがすんで自分の部屋へ帰ろうとして留置所の入口に来た時、あのさっ爽
たる歩き方をして、ぞうりばきの先生が中から出て来たのとバッタリあった。巌さんは思わずあっと叫んだ。牧
田先生の目もきらりと光った。掟であるから二人は言葉を交わすわけにはいかない。巌さんの胸に突き上げてく
るものはなつかしさといたわしさであった。牧田先生も同じ思いであったらしい。顔をパッと赤くしてにらむよ
うに巌さんを見つめていた。不思議にも巌さんは落ちつきを失ってしまった。あわてたような感情で自分の室へ
と帰って来た。坐るや否や田辺寿利君のあの言葉を思い出した。牧田先生著の教育論一巻の序分を。


『一学校長たるファーブルは昆虫研究のため黙々としてその一生をささげた。学問の国フランスは彼をフラン
スの誇りであるとし、親しく文部大臣をして駕を枉げしめ、フランスの名に於いて懇篤なる感謝の意を表せしめ
た。
一小学校長たる牧田城三郎氏はあらゆる苦難と闘いつつ、その貴重なる全生涯を費してついに画期的なる『創
価教育学』を完成した。文化の国日本はいかなる方法によって、国の誇りなるこの偉大なる教育者を遇せんとす
るか。
 昭和五年十月 湘南鵠沼の寓居に於て                                                 
                                                                                      田辺寿利』


 さて巌さんは牧田先生が同じ留置所にいる事が分かったので、一安心はしたもののどの部屋にいるのかが分か
らなかった。もしいる所が分かるならばたとえお顔を拝しないでもいらっしゃる方に向かって朝夕の御挨拶を申
し上げたいと思った。
 警視庁の留置所と言うものはなかなか面白く出来ている。ふつうの警察のとは全然趣きがちがう。ちょうど二
階のある映画館か劇場の小さいものを想像してもらいたい。舞台のあるちょっと手前に回転いすがあってそのい
すの上に看守が交替に座るのである。一般観覧席に当たる所は空席で看守の後、横丁が入口からの通路になる。
看守のいすを取りまいて三方に錠格子のはまった大小の部屋が、二階と下に十二、三づつ出来ているのである。
看守は回転いすの上からぐるぐると体を廻しながら各部屋部屋の動作を見る事が出来るのだ。各部屋部屋から看
守とは中音で話すことが出来るぐらいで、大きな声を出すと留置所全体に聞こえる広さである。そしてその一部
分は警視庁の地下らしい。警視庁全体の位置からいって、どの辺だか巌さんにはわからない。ただ結構な所でな
いという事ははっきりいえる。
巌さんの入ってた部屋は、二階へ上がって左側の最初の部屋で十二、三畳じきの大きな部屋であった。その中
に十二人前後が始終いるのだから高輪署に比べものにならないぜいたくな広さであった。物をいってはならない、
きちんと座っているんだという事だけは同じ事であった。そして三十分おきぐらいに回転いすの看守の外に別の
看守がブラブラと室の前を看視して歩いているのである。あぐらをかいてたばこを吸ってしゃべりたい放題しゃ
べっていた彼の二月前とは雲泥の生活である。彼はそれを思うとさみしさに心がしぼんで行くのであった。


     (二)
 巌さんは夕方日が暮れるにつれて、悲しい想いに胸が一ぱいだった。坊やの事も家庭の事も事業の事も何一つ
わからない。ただ彼は憂愁の想いにひたるだけであった。その彼をたった一つ楽しませる事件がある。というの
は夕方五時ごろに新しい新入りの客人がはいる事であった。巌さんは眼鏡がないので新入りが過去の見知りか、
今始めてあうのか区別がつかない状態であった。九月の中頃、えらく威張った人間が一人入って来た。どんな新
入りでも留置所に入る時には小さくなって来るものである。しかるに彼は大威張りであった。
巌さんはびっくりした。こんな留置所に入る時に看守やお巡りを子分のように叱りとばして都入りでもするよ
うな姿をもった男はまだ七十日間見た事がない。変わった男だとしみじみ顔を見なおした。その頃は昔でいえば
牢名主というようなもので巌さんがその室の室長であった。その隣りにどっかと腰を下ろして最初にほざいたこ
とばは
『何か食う物はないか』
である。巌さんはびっくりした。こんな留置所に食う物があるとはどんな人間が考えているのか、巌さんはそ
の顔をつくづくとみた。はてな、伊藤ハンゲツではないかなと思ったが、間違っては悪いと思って言い出しはし
なかった。思えば三日間、赤坂の待合へ、二、三度呼ばれて五十万円ほどの融資を頼まれた事がある。その時に
この人が世の中で有名ではあるけれども、何か、サギ的な利己主義的なものがあるのをみとめて一切交渉を絶っ
たのであった。
留置所といい、独房といい、こういう世界に入ってくるとその性格がむき出しに表われるものである。ハンゲ
ッという男は世間で有名だと知っておったし、自分とも一つの交りを結んで来たけれども、どうしても付き合い
かねた彼の性分をここではっきりと見ようとした。
牢名主格である巌さんに対して
『よろしく頼みます』
といった。巌さんは大きくうなづいて、
『いいよ、きみは誰だい』
『おれはな、大阪の星奈から百八十万の手形を取って、それがサギだという事になったんだよ、星奈に百八十万
の手形を書かせる男は俺くらいなものさ』
巌さんは微笑を含んで彼の顔をみた。やっぱりこれはサギ漢だなと思った。
『お前は何で入ったの』
『おれは法華経さ』
『神田に法華経気狂いで巌というのがいたが、きみ知っているかい』
巌さんはニッタリ笑って
『おれが巌だよ。お前はハンゲツではないか』
ハンゲツは板敷きの上に敷いてあるゴザの上に、手をついておどろいていった。
『お見それして相すみません。伊藤ですが入ったからはよろしく頼みます』
巌さんは笑って
『伊藤君、妙なところであったものだ。この部屋の事はきみに今日から後は任せるからしっかり統制をとってや
ってくれよ。おれは今考えたいことがあるんだからな』
といって牢名主の位置はそのままで仕事を彼にゆずってやった。


       (三)
 誰でも留置所に入ったばかりの日は食事ものどに通らぬものである。それで留置所に入った一日ぐらいは食事
を仲間に提供するのが例である。これは留置所の規則としては厳禁されている事であるが、餓鬼のようになって
いる古顔連にはそんな規則は通用しない。古顔の方からよけいに食うという事が自然にでき上がっている。
ハンゲツは入った次の日から盛んに新入りの食事の横領にかかった。己れを主張してがんとしてゆずらない彼
の利己主義がハッキリ見えて巌さんの心をくもらせた。この人はとても成功はしないだろうと思った。この人物
をその部屋で見きわめた巌さんは、出獄後いかにこの人にいいよられても交わりを結ぼうとしなかった。これが
大きな成功となった事を今でも感謝しているのである。
ハンゲツの横領振りと、看守に対する闘争振りと、又自己の罪に対する陰謀振りとは驚くばかりで、実に旺盛
な生命力を発揮する。巌さんはその点に対してはただただ感嘆の目を見張るだけであった。
小才子ではあるが、相手のない留置所では巌さんのよい話相手であった。戦時中のことであるから、留置所の
中は特にきびしく、仲間同志話すことは厳禁されているが、なかなか巧妙に良く話し合うものだった。ハンゲツ
は大声で気狂のようになって政治を論じたり、戦争の事を語り、看守の攻撃をしたものだった。彼の演説は傍若
無人で看守などは眼中になかった。看守が何かいうと『人権じゅうりんだ、貴様の名前は何という。訴えてやる
から名前を言え』と来るので、看守もにがりきっている以外にない。退屈な留置所ではこうした事が一つのたの
しみになる。
晩夏のむし暑い、ある日の午後であった。暑さのためにみんなうだりきっていた時、ハンゲツが突然に又うな
り出した。留置所は急に活気づいたようで皆面白がった。いつもの事であるし、看守も眠気ざましとで思ったか、
気嫌がよさそうにだまっていた。ハンゲツがしばらくうたって、ちょっと休んだ時に正面の独房らしい所から突然に、
『みなさん、こうだまっておってはみんなも退屈ですから私が一つ問題を出しましょう。善い事をしないのと悪
い事をするのと同じでしょうか。ちがうでしょうか』
巌さんはびっくりするとともに、思わずくすりと笑った。言い出した人は牧田先生である。この学説は半年ほ
どのあいだ毎日聞かされた事である。会員一同もこれにはずい分悩まされたものである。生まれて始めて聞いた
珍学説とも言うものであって、目をぱちくりさせなかった者はなかったからである。先生の説によれば善い事を
しないのと、悪い事をするのとは善の価値観において同じだというのである。利の価値においてAなる人が当然
百円もうけるべき時にもうけなかったならば百円損した事になる。百円もうけなかった事と百円損した事とが価
値においては同じであるという議論である。先生は世の中を価値的に見る事を四六時中考えているのである。そ
れであるから社会に対する個人の行為を善悪の価値と規定して、社会に利と美の価値を提供しないものは善い事
をしない事であるから社会にただ養われている事になって、悪い事をしていると同じとの考え方である。
この新学説には誰一人答える者もない。巌さんはからかうようにハンゲツに向かって『おいハンゲツ返事をし
てみろよ』『あれはおじいさんだぜ、こんなめんどうくさい事はおれにはわからん』といってプイと横を向いた。
巌さんは恩師のいる場所がわかったので、朝晩の心からなる挨拶を送るのであった。


       (四)
 七十余日たって巌さんの取り調べは一応だんらくがついた。巌さんの楽しみは、それから毎日増えていくので
あった。それは一日一回刑事室に呼び出されて、半日遊ばせてくれる事であった。刑事室に牧田先生が必ずおら
れて警部の取り調ベを受けておられた。であるから牧田先生と話す事はできないが、顔を見合わす機会がひじょ
うに多いので楽しかった。
取り調べ主任の小竹刑事の姿が少しも見えない。若い長という刑事が、ひじょうに巌さんに親切で、自分が休
みの日でも出署して、巌さんを留置所から出し、一日刑事室で休ませてくれた。留置所から出て来て刑事室まで
行く間の廊下の空気の甘い事。巌さんは地上の空気というものは、こんなに甘いものかといつもいつも思った。
ある雨の降る月曜日であった。長刑事が巌さんを刑事室に呼び出して取り調べに関係のない四方山の話をして
いた時に、とつぜん長刑事が言い出した。
『頭破作七分と言う事が法華経にあるというがあれは本当かね』
『あれは心破作七分とも言って頭が狂うことを意味するのです。信仰する者をいじめた場合に首から上に起こる
病気は諦といって本当なんですよ』
『ふふん、そうかね』
『あなたはなぜそんな事を聞くんですか』
『実はね、小竹さんが有楽町の駅で、ほんのちょっとした事だがね、向こうから電車が来て何げなしに頭を前に
出したんだが、所がちょっと当たっただけなんだが頭蓋骨がはずれちゃって、目から鼻からもひどい血が出て、
死ぬか生きるかの大騒ぎ、やっと頭蓋骨はもとにもどったけれども、今なお苦しんでいるのさ。こんな事は誰に
もいわんでくれたまえね』
巌さんはりつ然とした。
『ぼくには親切であったけれども他の連中をひどくいじめたんじゃあないかね。現罰っていうやつってこわいも
んですね』
『そんな考え方が、きみらがひっぱられたもとなんだよ。ぼくだからいいけれどあんまり人にいいたもうな』
『いやなにぼくはもう調書がすんでいるんだし、心配はないけれども小竹さんはなおるかね』
『命はとりとめているんだが、なおってから頭の工合がどうかとみなで心配しているんだ』
『頭破作七分というのは仏様のことばだからうそはないんですよ。商売柄とはいえあまり仏教信者をいじめない
方がいいですよ』
『ぼくは上官の命令通りやっているんで、いじめるもいじめぬもないからよいがね』
『そろそろぼくらの仲間は取り調べがすんでいるんだろうが一体かえすのかね、それとも他にどうかするのか
ね』
『まあ帰れんと思った方がいいだろう。非公式の話だが一年ぐらい覚悟したらどうかね。差入れの弁当が家から
来てるからまあゆっくりたベろよ』
『牧田先生は日曜日には出られんそうだが、何とか方法はないかね。外の廿い空気をすいにさ』
『二人いっしょにというわけにはいかないんでね』 
巌さんは暗い顔をしてうつむいて、差入れの弁当を食ベはじめた。


       (五)
秋晴れの心地よい日ざしをあびながら巌さんは、長刑事の脇のいすに座っていた。正面には牧田先生が中警部
の机に向かって座っていた。巌さんはなつかしそうに牧田先生の後姿を見ていた。牧田先生も中警部がいないの
で警部の後にあたる窓ごしに街路樹の動きを眺めているらしい。
牧田先生の後の右側の机に斎藤という刑事が、やせた無い顔にドジョウひげをはやして、これもポカンと座っ
ていた。この人はとかくの評判があるので特高でもあまりよく用いられていないらしい。単なる巡査であるが二
十年間の歴史がものをいっているのに過ぎないのである。彼は立法大学の講師という肩書をもって、美濃部山の
隠密とも噂されていた。そのせいか牧田先生を憎悪の目で見る事が非常にけわしいものがあった。巌さんは案外
のん気な気持ちでいるもんだから、巌さんへの風当たりはそれほど強くはなかった。ただ時おり皮肉をいうので
巌さんをムッとさせる時もあったが、それほど深い感情の対立をもつまでにはならなかった。
『ガタン』音がしたと思ったら、二人の女性が入って来た。巌さんは思わず目を見張った。一人は六十に近い小
柄な牧田先生の奥さんであったし、一人は三十を越えたばかりの牧田先生の長女であった。二人はうやうやしく
斎藤刑事のもとへ出て、重箱につめた弁当を出し、どうか牧田にと言った後で、
『これはこの間、部長さんのお話で牧田がひげをそりたいそうなんで安全カミソリを持ってまいりました。どう
かよろしくお計い願います』
 二人は余分におじぎを二辺も三辺もして、牧田先生と顔を見合わせたまま後へさがった。そして、初めて巌さ
んに気が付いたと見えて
『まあ!』と声を出しておどろいてかすかに頭を下げて出て行った。
牧田先生はそのカミソリがひじょうに懐しかったと見え、斎藤刑事にことわりもなく我が手に取って打ち眺め
しておった。これがわが家にいる時には、朝夕ほおにさわったカミソリかというような感慨深い面持ちであった。
とたんに斎藤刑事の手がのびて、牧田先生のほほをピシャリと打った。
瞬間の事件であり、巌さんの怒りは頂点に達した。いすより立って、思わず二三歩前に出た時に、長刑事にた
もとのすそをしっかりと押えられてしまった。はうとした気持ちと、泣きたいような悲しさに、一ぱいになった
胸を押えてもとのいすにドッカリと座った。泣きたいようなどなりたいような気持ちを、どうすることも出来な
いでいた時に牧田先生はすなおに一言、
『すみませんでした』といって、カミソリを斎藤刑事に返した。
牧田先生ほどの法華経信者を、あのように無情にいじめた斎藤に仏罰があるベきだと信じていた巌さんは、そ
の後、出牢の三十五日以内に彼は特高をくびになり、不良ばかり三人の子供をもっている中で、一番頼りになる
末の子が貯水池に自分等夫婦が結婚式に出かけた留守中頭をつっこんで死んだと、本人がわざわざ巌さんに、話
しに来た時に思わず身震いしたのであった。