発願成らず
(一)
牧田先生の信仰は日につれて深く強固になって来た。折伏も強折なものであって、幹部の者すら、ハラハラす
る程であった。罰論と神札の廃止とは御本山に取っても、熟睡の時に警鐘を乱打された感があった。御本山僧侶
の七百年間の惰眠は信仰に対する確信を失ったかのようであった。
七百年の昔、清らかにふき出た泉も年を経るに随って水の吐け口、流れる道に苔ができ、ゴミが入ったような
ものである。
御僧侶全体が罰論を恐れ、又国家が神礼を祭るようにというのに、反対の行動に出る牧田先生の動きを面白く
なく思った。中には牧田先生や学会を憎む者さえあった。いや全体が煙たがっているというのが事実であったで
あろう。
牧田先生は毅然たるものがあった。ひるむ弟子共を励まして、折伏へ折伏へと指導していたのである。その頃
の学会の姿を戦国時代の戦争図に譬えてみるならば、牧田先生は緋(ひ)縅(おどし)の大鎧を着て馬上にただ一騎敵陣に切り込
んでいる形である。幹部連はおっかなびっくり、大将の後からついて行く徒歩武者のようなものであった。
牧田先生に叱られてやっとのことで座談会に出る幹部連も少なくない。巌先生と雖もあまり威張った顔をする
仲間に入っていない。それでも総会でも開くとなれば、巌さんのいる生活革新同盟クラブの三十五人の連中はよ
く働いたものである。
昭和十七年の十一月十八日に教育会館で開かれた秋の総会は、集まる会員五百九十二名、司会は岩瀬社長であ
った。その晩、牧田先生を擁して麻布の菊水では、幹部会の慰労会も開かれて中々盛大であった。集まった顔ぶ
れは革新クラブの三十余名である。その中に寺西さんや木本さんも陣出さんも神妙に控えていたのは、この人達
も革新クラブに入会したからであった。
『先生、おめでとうございます』
巌さんが嬉しそうに先生に話しかけた。菊水の大広間に床の間を背にして牧田先生が坐っていられた。その左
側には巌さん、巌さんの隣りには岩瀬さん、先生の右側には稲畠さん、その隣りには松尾さんが座を占めてコの
字形に一同席を取り、笑いさざめていた。仲の良い同志の事とて笑い声も華々しい。
『いや御苦労さんでしたね。今度の司会は大変よくできましたね。岩瀬さん御苦労さんでした』
岩瀬さんはペコリとお辞儀をして
『いえ、それ程でもありません』
『馬鹿に遠慮するなよ。ほめられたら喜んでりゃいいじゃないか。貴様はどうもキザなくせがある』
どなるように言い出したのは印刷会社の西川社長である。
『西川、お前のこの前の司会より俺の方がよくできたからって、そうやっかむ事はないじゃないか』
巌さん面白そうに笑い出した。
『岩瀬君は自分の演説を聞かせたいから熱心になったんだよ』
『あの黄色い声と、腰ふり演説は一風変わっているからな』
茶々(ちやちや)を入れたのは岩瀬さんの隣に坐っている本間さんであった。
(二)
総会が終わってホッとした幹部連は、牧田先生を囲んでいろいろな話を聞くのが楽しみであった。
普段は牧田先生を敬遠したり、お辞儀かりしておる連中も、一杯気嫌になると、歌や踊りを牧田先生にお目
にかけて、叱られたりほめられたり、笑ったり泣いたりして、子供のようになるのが嬉しい一夜、とみんなが思
っていた。なかには喧嘩をして次の日呼び出されてべそをかく連中も少なくなかった。巌さんも叱られ組の大将
で、よっばらったら最後、世界が自分のもののような気持ちになって、先生に甘えるものだから、時々大目玉を
喰っていた。
何時もの通り巌さんはコップ酒をひっかけて、頭の中のレールが混線し始めて来ていた。汽車が何処で衝突す
るかもわからないというような頭が、巌さんにさえ出来あがった位であるから、その一統からは、さながらすさ
まじい猛獣が一つの檻の中へ入れられたと同じような雰囲気が捲き起こって来た。
松尾さんはチビリチビリと一人で呑んでいる。泣き上戸の稲畠さんは、牧田先生に何か愚癡をいい出している。
岩瀬社長は巌さんにさっきの演説のつづきであるように、腰をふりながら自分の処世観を、さも世界第一の哲学
者のような顔をしてとうとうと述べたてている。その処世観たるや、新聞と雑誌から極く安いお金で仕入れたも
ので、決して彼自身のものでないけれど、彼に生まれながらにして先祖から伝わって来た学説のような顔をして
いるのが面白い。
西川社長は犬に似たような声で芸者に三味線をひかせながら、頸をふりふり都都逸を歌ってはいるけれども、
感心しているのは自分一人だけであった。芸者は恥ずかしくないのかしらという顔をしながら、歌に三味線を合
わせるのに骨を折っていた。本間さんはこういう集まった人間をどう利用したら自分には得になるか、と狐のよ
うな顔をしてじろじろ見ていた。
藤野さんは幹部の一人であるが頭の働きが頗(すこぶ)るよいので、西川社長の人の良さを使うならば巌さんが動くこと
をよく知っている。そしてこの猛獣部屋の中で、自分がライオン格であることを知らせたいという立ち場から
『西川止めろ、お前のような歌じゃものにならない。俺が聞かしてやるからな』
といって美音を張り上げて歌をうたい出した。それは実に今まで聞かなかった歌である ー 軍国調の九段坂の
歌であった。
泣くな歎(なげ)くな、テンツルシャン
必ず帰る、桐の小箱に錦着て
会いに、テンツルシャン
来て呉れ、九段坂
その時に、この歌に聞きほれておった牧田先生が、相手にしていた稲畠さんを振りすてて、巌さんの方をキッ
ト振り向いた。
『巌君!』
呼んだ声には威厳と力があり、目には先生特有の強き光があった。巌さんの頭の中のレールの混線は急に正常
に帰った。恰(あた)かも鉄道省から鉄道大臣が出張して来たようなものであった。巌さんは思わず
『ハッ!』
と答えた。
『国家諌暁だね。陛下に広宣流布の事を申し上げなければ日本は勝たないよ。これを御本山に奏請して、東京僧
俗一体の上に国家諫暁をしなければ国はつぶれるよ。並大抵でない時に生まれ合わしたね』
巌さんの頭は混線から正常へ、正常から氷の水をあびせられたような感じに落ち入った。檻の猛獣は騒いでい
る。牧田先生と巌さんの胸ばかりは透明な氷の中に、見つめ合っているような目とのひらめきに、師匠は弟子に
起(た)つかとうながし、弟子は師匠の決意に驚きつつ、自から起たんとするひらめきが、稲妻のようにきらめき合っ
た。
(三)
巌さんは観念のほぞをきめた。一旦言い出したからにはお引きにならない先生ということは充分知っている。
しかし国家諫暁とは大変な事件である。御本山との関係もある事だし、戦時下における軍部のやり方を考えて見
ると、これ又一大事である。
この時の軍部のやり方は、何事にかけても統制一点張りである。宗教まで一本化に統制しようと考えている程
の愚人の集まりである。文部省が幹旋して、盛に宗教界の合同をはかっている時なのだ。
御本山でも笠公慈大が身延方になって、身延へ正宗を合同させようとたくらんでいるというような噂も聞いて
いる、並大低の事では国家諫暁はむずかしい、と思わざるを得ない。
『先生承知致しました。万難を排してもやり遂(と)げましょう』
牧田先生はニッコリ笑って巌さん盃をさした。巌さんは恭しく受け返盃してちょっとうしろを振り向いた。
その時背の高い、顔の長い北村さんが、先生の前に出て来て
『先生ひとつ踊りをお目に掛けたいのですが如何でしょう。先生は謹厳でいらせられるから、お叱りを受けては
大変だから、一寸おねがいにまいりました』
『いいともいいとも、一向構わないよ。踊りを見せて頂きましょう』
『巌さん、一緒にやりましょう』
『やあ、それは君が先生だからなあ、ひとつ教えてもらおうか』
巌さんは大声で
『おいおいみんな、北村君が踊るそうだからひとつ習おうではないか』
その時西川さんは
『北村の下手くそな踊りか』
岩瀬社長が
『西川そんな事を言うな、案外うまいんだぞ。たった一つしか知らないのだからな』
巌さんと岩瀬さんとは、北村さんの後について踊り出した。
見越の松に黒板塀
障子あければチンがいる
女主人に下女一人
時々他人の兄が来る
踊り終わるやみんなが笑いこけた。こうして宴会も賑やかに過ぎて閉会となったのは九時半頃だった。
みんなが帰った後で巌さんが牧田先生の側へ来ると、先生は北村さんと話していた。
『先生、それでは二、三日うちに文部省へ行って様子を聞いて参りましょう。下手にやっては困りますからね』
『この日本の大戦争を勝たせる為には、どうしても広宜流布しなければ勝てっこはない。先ずこの時こそ天皇陛
下が自ら目覚められて、尊い御本尊を拝まなくてはならん。それを申し上げる事は第一番の忠義ではないか。丈(ます)
夫(らお)というものは成し難いものを成すものである』
北村さんは商人であった。あんまりやかましい話には通じないが、世の中の事は酢(す)いも甘いも究めている。
『承知致しました。必ず文部省へは近々行って参ります』
と返事をした。