五、妙法蓮華経方便品第二の講義
(1) 無量義経
釈迦が霊鷲山で法華経を説く前に、まず開経である無量義経を説いております。無量義経は、徳行品第一、説法品第二、十功徳品第三という三品からなっております。徳行品第一では、仏の生命の不思議をほめたたえております。
仏の生命というものは法報応の三身であり、またこれは、あらゆる生命の姿でもあります。
簡単にわれわれをみるならば、法身とは生命、報身とは精神(智慧、心)、応身とは肉体といえます。
この徳行品第一には、仏の法身を説いておりますが、その中に「大いなるかな大悟大聖主」とあり、仏というものは、丸でもなければ、四角のものでもなく、長くも短くもない、立っているのでもなければ、坐っているのでもない、動いているのでも、転がっているものでも、静かにしているものでもない、青くもなく黄色でもなく、赤白でもなく、紅でも紫でも、またその他の色でもない等々と書いてあります。
このように、無量義経では、最初から生命の問題をだしてきているわけです。この生命という問題、また人生をどう生きて行くかということは大きな問題ですが、この難問題を解決しているのは法華経です。
もちろん像法では摩阿止観、末法では三大秘法の南無妙法蓮華経の七文字が解決しているわけです。ですから、在世・正法の教えである釈迦の法華経二十八品の経文を、いくら読んでも、われわれの利益にはならないのです。ただ、ここでは、信心を増すために読んで解釈しているわけです。
この方便品・寿量品の講義を五へんや十ぺん聞いても、仏教学者になるわけではないのですから、信心を増すための教学ということを、どこまでも心に入れていきたいと思います。
次に説法品第二では『無量義は一法より生ずる』ということが説かれております。あらゆる経教に説いている無量の義は妙法蓮華経より生ずるということで、根本の、法とは妙法蓮華経であることを示しております。
そして同じく説法品で、釈迦はこの法華経を説く前の四十余年間というものはただ権の教えを説いてきたのみで、いまだ真実をあらわさなかったといっております。
次に十功徳品第三では、法華経(末法の今はもちろん南無妙法蓮華経の御本尊)の偉大なる功徳を十にわけて説いております。