(2) 妙法蓮華経の訳者
この法華経二十八品は、釈迦がパリ語あるいはサンスクリット(梵語)で説いたようであります。そして釈迦の死後に遺弟によって、梵語で結集され、やがて白氎とか貝葉とかに書かれた。そして法華経は広く各国語に訳されているが、支那訳としては六訳三存といって今三本だけ現存しているといわれる。
この三本の中で、羅什三蔵訳の原本がもっとも古本であるとされ、また訳としては羅什三蔵訳のもののみが仏の真意を伝えるものであると日蓮大聖人様の仰せであるが、あらゆる学者も空前の珠玉のごとき名訳として認めております。
故に今では、この羅什三蔵訳の妙法蓮華経のみが用いられております。この妙法蓮華経は略して法華経といっております。
それでは羅什三蔵という人はどんな人でしょうか。鳩摩羅什の父は鳩摩羅炎という印度の名門の人で、亀玆国で耆婆という賢い国王の妹と結婚して、生れたのが羅什であるといわれます。七才で出家し、幼いころから非常な秀才でありました。
大乗仏教を須梨耶蘇摩大師という人から学びましたが、特に法華経を授与して『此の経典は東北に縁あり、汝、慎んで伝弘せよ』と命じたといいます。羅什は後にその通りに、東北の国たる支那に渡り、国王の命を奉じて、優秀な弟子三千人を指導して、支那訳の妙法蓮華経を完成しました。さらに、この法華経が東北の国たる、もっとも緑のある日本の国に渡ってきたのであります。
この訳について、次のような話が、伝わっております。時の支那の国王は、強いて羅什に家庭生活をさせたので、羅什は清浄な僧院の生活をしていなかった。そこで死ぬときに、『自分は戒律を破って妻や子をもつ俗人のけがれた生活をしたが、口で述べたことは少しも仏意にそむかなかった。故に自分の死後、火葬にするときに、不浄な肉体は焼けてしまうだろうが、清浄な舌のみは焼けずに残るであろう』と、弟子たちに遺言した。はたして、その通りになったといわれます。
日蓮大聖人様も御書の中で次のように仰せられております。
「摠じて月支より漢土に経論をわたす人・旧訳・新訳に一百八十七人あり羅什三蔵一人を除いてはいずれの人人も悞らざるはなし……
但し一の大願あり身を不浄になして妻を帯すべし舌計り清浄になして仏法に妄語せじ我死なば必やくべし焼かん時舌焼けるならば我が経をすてよと常に高座してとかせ給しなり、上一人より下万民にいたるまで願じて云く願くは羅什三蔵より後に死せんと、終に死し給う後焼きたてまつりしかば不浄の身は皆灰となりぬ御舌計り火中に青蓮華生て其の上にあり五色の光明を放ちて夜は昼のごとく昼は日輪の御光をうばい給いき、さてこそ一切の訳人の経経は軽くなりて羅什三蔵の訳し給える経経、殊に法華経は漢土にやすやすとひろまり給いしか』(撰時抄二六八頁)
法華経は、一般に妙法蓮華経八巻二十八品といわれております。品とは今でいえば、章とか科とかいうような意味です。また『法華三部経』ということも聞きますが、これは法華経の開経である無量義経(曇摩伽陀耶舎三蔵訳)一巻と、法華経の結経である観普賢菩薩行法経(曇摩密多三蔵訳)一巻とをあわせた十巻を総称していいます。法華経十巻といわれるのが、
これであります。
法華経二十八品の中、序品第一より安楽行品第十四までを迹門、涌出品第十五より勧発品第二十八までを本門という。
迹門の肝心は方便品第二にあり、諸法実相に約して理の一念三千を説き、また二乗の作仏を説いております。本門の肝心は寿量品にあり、久遠実成を説きあらわし因果国に約して事の一念三千を説き、且つ神力品において地涌の菩薩に付属しているのであります。
かんたんにいえば、迹門というのは、天の月が水にうつった陰、すなわち水月のようなものであり、本門は本体である天月のようなものである、という関係にあります。迹門は生活の理論を説き、本門は現実の生活を説いているのであります。すなわち、迹門は家の設計図のようなもので、本門は実際にでき上った家のようなものであります。故に迹門よりも、本門の方がずっと優れているのであり、天地雲泥の差があるのであります。