四 妙法蓮華経にいて

 

(1) 釈迦の出世の本懐

 この法華経(妙法蓮華経のこと)と申しますのは、釈迦が十九才のときに出家し、十二年間の修行によって、三十才のとき仏になって以来、四十二年目に始めて説いた釈迦出世の本懐の経文で、八年間かかって説いたといわれております。

法華経では、まず釈迦のことを話さないわけにはいきません。

 仏教史の上から尋ねてまいりますと釈迦になりますが、仏法の悟りの面からいいますと、釈迦は本仏ではなく、垂迹化他の仏すなわち迹仏になるのです。また釈迦は過去の立派な仏でありますが、今末法の時代においては、われわれを利益する力は少しもありませんから、今釈迦を用いている人は、ちょうど腐って毒の作用をする御飯を食べているようなもので、邪宗徒といわざるをえないのであります。

 釈迦というのは、当時の印度の種族の名前です。その釈迦族の一番の聖者・賢人という意味で、仏をば牟尼(賢人の意)といい、正式に呼ぶときには釈迦牟尼世尊とよびます。釈迦が十九才の時から、六年つづ十二年間、難行・苦行をいたしまして仏の境涯を得たわけです。釈迦は、浄飯王の子でありましたが、その王子が難行・苦行に出るというので、王は憍陣如(きょうじんにょ)等の五人の仲間をつけて修行にだしたわけです。ところが、当時の修行法というのは、実にムチャクチャで、石の上にすわって何日間も断食したり、御飯も食べないで思索するというような、いろいろの苦行を重ねた。          

 しかし、このような十二年間の修行でも悟れず、人生の問題とか、世界観の問題を思索するのに、身体が疲れて、どうしても思考する力を失ってしまう。そこで釈迦は、ちょうどある娘がもってきた牛乳のおかゆを受けて食べた。ところが、五人の仲間が、釈迦が堕落したものと思い『瞿曇(くどん)(釈迦の名)(しゃ)()は邪道におちて、断食を中断した。こんな者と、ともにはおれぬ』といって立ち去った。

 釈迦は、ほど良く食べ、眠り、真面目に人生を思索した。しこうして、色々な難問題を考察していくうちにある朝、丑寅の時刻に、天の一方に明星がきらめいた、そのきらめいた瞬間に、ハっと悟った。これを仏法では刹那成道といっている。これは東洋の演繹哲学の根源であり、ほんとうの大宇宙の悟りそのものを得たわけである。西洋の哲学は帰納哲学である。

 

 それでは何を悟ったかといえば、それはいってしまえば簡単です。しかし、われわれ凡夫がそれを悟ろうとして、これから百万年、二百万年思索しても悟れないことです。それは何かといえば、自分はずっと昔、五百塵点劫という大昔に、もうすでに仏であったという、永遠の生命を悟ったわけです。そこで正しい仏の境地から、十界互具一念三千という哲理を余すところなく解ってしまった。

 もう、修行の必要なしとして、いかなる方法で、この哲理を教えようかと考えて、今まで十方三世に出現した仏が、始め三乗を説き次に一仏乗を説いたことを思いおこし、また釈迦もまず声聞・縁覚・菩薩の三つの道を教え、みなの機根が改まったら法華経を説こうと決心した。そして、まずその歓喜を、十二年間教わった師匠たちは、すでに亡じている故に、始めに、ともに今まで修行してきた、憍陳如等の五人の友だちに説いた。彼らは、波羅奈というところにいたが、一同に瞿曇(釈迦の名)がきたら、迎えたり話したりするのを止めようと申し合わせていたが、釈迦をみるやいなや、その威徳にうたれて自然に深く敬い迎えたという。そこで釈迦の説法を聞いて、たちまち弟子として修行するようになった。

 

そのようなわけで、波羅奈において、五人に法を説いてから仏として敬われるようになった。当時バラモンでは仏の出現を非常に勤求(ごんぐ)され、バラモンの聖人といわれる人々も、仏の出現を予言していたので、その時代の人々は釈迦の説法を聞きに集まってきた。そのとき、三七、二十一日の間、始めに華厳経を説いた。華厳経は、法華経の次に高い経ですから、みんなは、さっぱり判らない。それほど高等な仏教哲理を説きましてから、ますます釈迦の名声はあがってきたわけです。

 次に三乗を説いて、最後に一乗を説くというやり方に入りまして、まず小乗教であるところの阿含教を説いた。次に権大乗である、方等部、般若部の教えに移り、それらを四十二年間にわたって説き、人々の機根が成熟したとき、始めて八年間にわたり釈迦の出世の本懐、実大乗教である法華経を説いたのであります。

 

 小乗教といえば、律宗があり、権大乗教として、浄土宗や禅宗や真言宗がありますが、みな釈迦の仮の教えで、正しい仏法が現われた今では、不幸のどん底におとす邪教であります。

 

 法華部では開経である無量義経、次に妙法蓮華経序品第一、妙法蓮華経方便品第二と説いていまして、最後が妙法蓮華経勧発品第二十八と、二十八品を説き終って、次に観普賢菩薩行法経という結経を説いた。開結二巻を法華経二十八品八巻に入れて、法華経十巻と申しております。その後、死ぬ前に説いた涅槃経を入れて法華部と称されています。

 

 経文の高さからいいますと、阿含、方等、般若、華厳、法華となり、時間的に説いた順序からいいますと、華厳、阿含、方等、般若、法華となるわけです。

 釈迦はこのようにして法華経を説きましたが、無量義経や法華経方便品第二において明らかにしていますように、法華経の極理を説いて人々を成仏させるのが、釈迦の本懐なのであり、阿含経や方等経や華厳経を説くのは釈迦の目的ではなくて、法華経を説くための方便の教であり、かり(権)の教として説いてきたわけである。ですから釈迦仏法の奥底は法華経にことごとくおさまっており、法華経は釈迦一代の仏法の大綱、一代仏法の骨髄となっております。故に法華経を理解しないで、釈迦仏法の真髄をみることはできません。

 

 しかして、仏法の二つの潮流である釈迦仏法と、末法の日蓮大聖人の仏法との相違を認識するには、法華経はまた大切な基礎学ともいわなければなりません。

 なぜならば、今日仏法が雑乱しているわけは、釈迦の法華経に幻惑されているヤカラが、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏教と混同しているためで、法華経二十八品は釈迦の仏法であり、南無妙法運華経の仏法は大聖人の仏法であるということに、ここで深く留意しなければならないのであります。