中野支部第一回総会(昭和二十七年三月一日 東京・中野歓喜寮)
日暮れて道遠し
籠手田さんのお話をお聞きになったと思いますが、「日暮れて道遠し」ー お気の毒ながら、いまのままで成仏を願わなければならない人生なのであります。あなた方はまだ若いのです。籠手田さんのようになってから信心が始まったなら、どうでありましょうか。じつにこわいこと、恐ろしいことと思います。がっちり信仰して、五欲をほしいままにして、功徳を受けてください。願いとしてかなわざるなし。いかなる願いも、かなうのであります。
初信の功徳のつぎに起こってくるものが、魔であります。
「この法門を申すには必ず魔出来すべし」(御書全集一〇八七㌻)と。
三障四魔が紛然として起こりきたるのであります。仏と魔はいっしょであり、善と悪は左右の関係であり、幸福、不幸は隣同士であります。
魔に四つあり、病魔、死魔、煩悩魔、天子魔であります。信心させまいとし、疑いを起こさせるものがくるのであります。さあこい、魔などに負けてたまるものかの大覚悟で向かったときは、魔は退散するのであります。
「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書全集二三二㌻)の開目抄のおことばであります。
疑いを起こす人は、たいてい横着な信心の人であります。この山をひと山抜けると、成仏の境涯といって、くずすことのできない境涯となるのであり、この山をいく山越すかは、その人の信心によるのであります。
「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(御書全集二三四㌻)
のごとく、ひるむときこそ、御本尊様にすがり、泣きつくならば、かならず願いはかなうのであります。
功徳を、きょうこそはしっかり胸にだきしめて、死ぬまで忘れぬようにしていただきたいと思います。
(昭和二十七年三月一日 東京・中野歓喜寮)