御法主日昇上人の訓諭にお応えして(昭和二十六年九月二十日 「聖教新闘」紙上)
僧俗一致の誠を尽くせ
このたびのことは、われわれ信徒として、まことに恐懼にたえないところであります。
立宗七百年を明年にひかえて、ますます宗門内の団結を固め、折伏逆化に進むべきことは当然でありますが、「或者は僧を軽侮する風潮すら萌せるを感ぜられることは慨歎を禁じ得ないのである」とのおことばを拝しましたことは、とくに宗徒として、もっとも厳戒せねばならぬ点でありながら、ご心痛をいただいたことについて、各人、深くおのれの謗法の有無を省みねばならぬところであります。
立正安国論にのたまわく「大集経に云く『頭を剃り袈裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養す可し、則ち我を供養するに為りぬ、是れ我が子なり若し彼を檛打する事有れば則ち我が子を打つに為りぬ、若し彼を罵辱せば則ち我を毀辱するに為りぬ』」(御書全集三〇㌻)と。
また、御開山上人の御遺誡置文を拝するにつけても、このたびの御訓諭のままに、僧俗一致
の誡を尽くすべきことをお誓い申しあげるしだいであります。
(昭和二十六年九月二十日 「聖教新闘」紙上)