合同座談会(昭和二十六年九月十六日 東京・常泉寺)


魔王の試練
 

 ただいまは、法が滅びる時であろうか、興る時であろうか。法が滅びる時、その方につくものには現証はない。興る方につくものには利益がある。初信の人は、きょうの体験発表のとおり、ご利益がある。その功徳は何のためにおきるかといえば、法がもっとも尊いからである。


 これを、山にみた場合、最高の山の頂上が成仏であり、利益の最高である。成仏とは、永遠の生命を感得することであって、いつ、いかなるときにでも、絶対の幸福で、成仏といってもことばではあらわせないため、死ぬまでに物心両面が満ち、その証拠をとる。


 初信の功徳は、山へ登ることであり、成仏は、それよりも高い山へ登るのであって、これは世法のご利益を得るのではない。
 低い山から最高の山へ登る中間には、かならず谷があり、この谷に、みなさんは迷う。これこそ鬼子母神、十羅刹、魔王の試練で、初信の者は、これに驚き負けてしまう。この第六天の魔王の試練の罰に負けてはならない。谷へ落ちたとき、これでなるものかと、最高の山へ登るためにいちど谷へ落ちたことを信じ、よくよく小山より大山へ登る谷へ、考えをいたさなければならない。
 これこそ、三障四魔が紛然として競いおこったのであり、初信の功徳に酔うべきではなく、谷間への信心であることを深く考えて、毎日の信心を怠ってはならない。
                (昭和二十六年九月十六日 東京・常泉寺)