自界叛逆難を反省せよ
昨秋、人工衛星が出現して、世界の人々の耳目が、それに集中した。わが国の人たちも上下をあげてそれに気をとられ、アメリカに対するソ連科学の優位に失望する者、あるいは逆に喜ぶ者、また原水爆から誘導兵器、弾道弾から人工衛星と、限りなく発展する軍事科学に対してますます不安を増した人々など、ラジオを聞いても、新聞、雑誌をみても、しばらくそれでうずめられ、いまもなお、それが続いているのである。
このすがたをみて、吾人は、しみじみ、次のように考える。すなわち、日本の国民は外部にだけ気をとられて、肝心の日本人自身の、日本自体の現状を見失い、足元もすっかり浮き上がっていると。
なるほど科学兵器の問題は大問題にはちがいないが、これに対処せんとするのに自己を見失っては、いったいどんな対応策が生まれてくるであろうか。
おのれを忘れては、外部に対策のたてょうがないではないか。ここにおいて、吾人は、わが国の現状をよく見きわめよと、声を大にするものである。
さて、よくよく、いまの日本のすがたをながめてみれば、そこには、まことに憂うべきありさまが展開されている。逐次にそれをながめてみるならば、政治、労働、文化、経済、教育等等、各界がみな自界叛逆の相を呈して、五濁悪世の名にもれず、泥沼にうごめくがごとき状態を続けている。そして、これが一国謗法の総罰のすがたであるとは、だれも考えおよぶ者がいない。
まず、政界をみよう。そこでは、自民党も、社会党も、共産党も、党の大小にかかわらず、いずれも内部分裂と対立抗争に明け暮れしているのがよくうかがえる。自民党を例にとれば、組閣に際しても、各派閥の閣僚ポスト争いは衆知のとおりであり、社会党の左右両派の抗争、またしかりである。共産党の勢力争いも、また有名なものである。
また、労働界を観察すれば、総評、全労の二つの勢力が、おたがいに対立を続け、さらに、それらが労働貴族といわれる(もちろん、それだけの理由がある)指導層と、一般組合員層とに分かれて、これがすっかり遊離して、することなすこと、本来の労働運動から逸脱していく傾向がとみに強い。とくに国鉄労組の新潟地本の独走は国労自体の分裂行為でもあり、一般大衆と社会の経済に莫大な損害を与えたが、これなどいちじるしい事例であろう。
また、労使の対立も、二百六十日ストとかいうものもあらわれたし、先日の鉄鋼ストは労使おたがいに硬化して、ついに賃上げもできずに幕を閉じたが、これで組合員の失った賃金は十二億五千万円、会社側損害はじつに二百二十四億円という。これらも、おたがいに罰を重ね、国に大損害をかけただけではなかったか。
そのほか、文化面については、昔から学閥抗争がはげしく、このような風潮からほんとうに健全な文化は生まれるべくもない。また、国家経済上もっとも大事な貿易面においては、じつにむだな輸出競争が行われ、これから起こる弊害がどれほど貿易を害しているかはかりしれない。また、毎年のことであるが、政府に対する日銀の態度にも相克闘争のすがたがくみとられるのである。
このように、わが国は外に対しては、ほとんど無力の状態で、つねに不安に動揺しつつ、それでいながら、国内は、各界各層、分裂と対立と抗争に明け暮れして果てるところがない。
「病膏肓(やまいこうこう)に入る」とはこのために用意されたことばの感さえもする。では、なぜに、このよう
になってしまったのであるか。
もともと、あらゆる機構は相争うために生みだされたものではない。それは人類福祉のために考えられ、採用されたものであったはずである。それにもかかわらず、いま、まったく反対機能の場となってしまった理由は、一国こぞって正法に反対し、これを説く者を迫害し、こぞって誹謗正法の罪をつくっているところにある。
すなわち、日蓮大聖人の立正安国のお教えに背いているためなのである。この誹謗正法の実態は、昨年中の労働界、報道界、その他の行為に、はっきり示されていたとおりである。
日蓮大聖人は、誤れる宗教、邪法をあがめ、あるいは放任して、正法をないがしろにするならば、三災七難がつぎつぎに襲ってくることを説き示された。そして、生涯をかけて、これが啓蒙のために奮闘あそばされたのであった。はたせるかな、大聖人のご警告の正しさは、つぎつぎに事実となってあらわれ、当時は軽い難から順次重い難へと移行して、最後には蒙古の襲来という最大の難「他国侵逼難」までむかえなければならなかった。
時代は移り変わっても、この御本仏の教えたもうところに、いささかもくるいはない。そしてついに、未曾有の大敗戦によって破国の難をこうむったが、いま広宣流布の時をむかえて、難の出方が大聖人御在世と逆次にでてきていることが観察される。
すなわち、亡国の他国侵逼難から、ちょうどいまは「自界叛逆難」の時にさしかかっていることがわかる。そして、広布の時にあたっての折伏が強いがゆえに、反対、圧迫もそれにともなってはげしく、誹謗がはげしいがゆえに、罰も深刻化しているのである。
また一方からみれば、このように国の難が大きいということは、もっとも強力で正しいものでなければ、これを救うことができないことを意味しているのである。ここに、富士大石寺にまします大御本尊の威力を、あおぎたてまつらなければならぬ理由がある。
日蓮大聖人の「立正安国」の「正」とは、三大秘法の南無妙法蓮華経である。この大法によってなおす以外に、この自界叛逆の大病はなおすことができない。妙法を境として起こした病は、妙法に帰せざればなおらぬのである。
ゆえにあらゆる人々に、日本の自界叛逆難について、その根本に思いをいたし、深く反省することを求めてやまない。幸いにも広布にさきがけて大御本尊の慈光に浴しえた会員諸氏は、自己のしあわせとともに、あらゆる人々のしあわせ、国難の打開をも念願として、今年一年を歩んでいただきたいと願うものである。
(昭和三十三年一月一日)