顕仏未来記を拝して

 顕仏未来記は、一往、法華経がインドの釈迦仏の末法における予言書としての立場からすれば、インドの釈迦仏の未来記となるが、再往、文底の立場より日蓮大聖人を御本尊と拝するとき、大聖人の未来記となる。この御抄は、大聖人佐渡御流罪中の文永十年五月十一日の御著作である。
 つらつら、この御抄を拝読するのに、大聖人が、御本仏としてのご確信が巌のごとく固く、また、末法法華経の行者としての意気天を衝くの思いあり、かつは生を思わず、死をもおそれず、ゆうゆうとして子弟を教ゆるの態度が躍如としている。

佐渡のご艱難

 思うに、大聖人御流罪当時の佐渡は、京・鎌倉にくらべてみるならば、ほとんど未開の土地といってよかろう。衣食住ともに、その生活はそまつなものであったと想像される。また大聖人の境遇は、今日、東京で暮らしていた者が、太平洋戦争の戦犯で、かつは死刑の宣告を受けて澎湖島(中国本土と台湾の間にある島)ヘ一時流されたようなものでなかろうか。生活は逼迫し、頼るべきものは何物もなく、たえず死の恐怖にさらされているのである。
 われわれ凡夫なら、なににたとえようもない悲しみのどん底ではないか。地獄の生活そのものといってよいであろう。


 いま、種種御振舞御書を拝するに、
 「六郎左衛門が家のうしろ 塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたまあはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所にしきがは打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす、夜は雪雹雷電ひまなし昼は日の光もささせ給はず心細かるべきすまゐなり」(御書全集九一六㌻)
 また同抄にいわく、
「庭には雪つもりて・人もかよはず堂にはあらき風より外は・をとづるるものなし、眼には止観・法華をさらし口には南無妙法蓮華経と唱へ夜は月星に向ひ奉りて諸宗の違目と法華経の深義を談ずる程に年もかへりぬ」(御書全集九一七㌻) 以上のように、じつ にお気の毒とも、おいたわしというも、いいたりぬご生活であらせられた。かつは、生命にかんしても、ひじょうな危険にさらされて、いつ、いかなるときに殺されるかもわからないような状態であられた。


 されば同抄にいわく
 「いづくも人の心のはかなさは佐渡の国の持斎・念仏者の唯阿弥陀仏・生喩房・印性房・慈道房等の数百人より合いて僉議すと承る、聞ふる阿弥陀仏の大怨敵・一切衆生の悪知識の日蓮房・此の国にながされたり・なにとなくとも此の国へ流されたる人の始終いけらるる事なし、設ひいけらるるとも・かへる事なし、又打ちころしたりとも御とがめなし、塚原と云う所に只一人あり いかにがうなりとも 力 つよくとも 大なき処なれば 集りて いころせかしと云うものもありけり」(御書全集九一七㌻)


 このように、大衆が大聖人を憎むこと野盗のごとく、いな、それより以上に猛獣のごとく、憎んでいたのである。されば、一時、幕府の意見として、大聖人の斬罪をのばしたとしても、どうせ殺されるであろうということは、世評の通常であった。以下の御文に、
 「又なにとなくとも頸を切らるべかりけるが守殿の御台所の御懐妊なれば・しばらくきられず 終には一定ときく、又云く六郎左衛門尉殿に申してきらずんば・はからうべしと云う、多くの義の中に・これについて守護所に数百人集りぬ」(御書全集九一七㌻)
 

 この御文であきらかなように「終には一定ときく」とは、かならず殺されるということである。このような状態のなかで、あの日蓮宗学の二大柱石ともいうべき開目抄、観心本尊抄の御述作あり、かつは生死一大事血脈抄、草木成仏口決・佐渡御書、祈禱抄、如説修行抄等、三十八種の現存せる御述作がある。顕仏未来記もまた、この御述作中の赫々たるものである。

     成仏のご境涯

 この顕仏未来記を拝し、また他の御書を拝読するにあたり、御本仏日蓮大聖人の澄みきったご心境が如実にうかがわれる。
 成仏の境涯とは絶対の幸福境である。なにものにも侵されず、なにものにもおそれず、瞬間瞬間の生命が澄みきった大海のごとく、雲一片なき虚空のごときものである。大聖人の佐渡御流罪中のご境涯はこのようなご境涯であったと拝される。


 されば「此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり」(御書全集九一〇㌻)とも、「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし」(御書全集二三七㌻)ともおおせられているのは、御本仏の境涯なればと、つくづく思うものである。


 かく大聖人のご境涯をしのぶときに、われらにとっても頼もしいのは、観心本尊抄の御文である。すなわち、
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の囚果の功徳を讓り与え給う」(御書全集二四六㌻)と。


 またいわく、
「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う、四大菩薩の此の人を守護し給わんこと太公周公の文王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者なり」(御書全集二五四㌻)と。
 

 釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す、この妙法蓮華経の五字のなかに、仏大慈悲を起こして一念三千の珠をつつみ、われら末代幼稚の頸に懸けさしめたもう、以上はこの五字を受持することにより、権迹本の釈尊の因行果徳の功徳を譲り与えられたことになる。権迹本のなかの本の釈尊とは、末法出現の御本仏日蓮大聖人であらせられる。


 されば、われらも、大聖人佐渡御流罪のごとき大難にあうとも、大御本尊を固く信じて受持するならば、真の絶対的幸福境にゆうゆうと遊びうるであろう。かくのごとき見地において顕仏未来記を拝するに、じつに多くの感銘を受けるものがある。

    顕仏未来記の御指南

 本文にいわく、
「法華経の第七に云く『我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん』等云云、予一たびは歎いて云く仏滅後既に二千二百二十余年を隔つ 何なる罪業に依って仏の在世に生れず正法の四依・像法の中の天台・伝教等にも値わざるやと、亦一たびは喜んで云く何なる幸あって後五百歳に生れて此の真文を拝見することぞや、在世も無益なり前四味の人は未だ法華経を聞かず正像も又由し無し南三北七並びに華厳真言等の学者は法華経を信ぜず、天台大師云く『後の五百歳遠く妙道に沾おわん』等云云広宣流布の時を指すか」(御書全集五〇五㌻)と。


 この御文を拝するに、寿量品にいう「諸の薄徳の人は、無量百千万億劫を過ぎて、或は仏を見る有り、或は見ざる者あり」(妙法蓮華経並開結五〇一㌻)との文よりして、仏の在世および竜樹・天台・伝教等に会わざるを、わが罪障なりと、お嘆きあそばしているようにみえるが、真実は法華経第七の巻の「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」の真文にあいたるを、むしろおよろこびとなされたのである。


 すなわち、身業読誦を終わり、久遠元初の自受用報身如来の御内証の開発をあそばし、上行所伝の法体・本地難思・境智冥合久遠元初・自受用報身如来の仏像を本尊として、広宣流布のときに際会したのをよろこばれ、しかもその大任は吾人にありとしていられるのである。さればこそ、「広宣流布の時をさすか」とおおせられておられるご心境は、真によろこびにあふれていると拝せられる。


 またいわく、
「時代を以て果報を論ずれば竜樹・天親に超過し天台・伝教にも勝るるなり」


 あらゆる諸宗派の元祖とよばれる竜樹・天親にも超過し、薬王菩薩の再誕・像法の教主天台にもすぐれ、また天台の後身・伝教にもすぐるとのおことばは、われ末法の法華経の行者にして本仏なりとの絶対のご確信より生じたものにして、じつにありがたく拝読するものである。

 今日、新興宗教の化物教主などとは、天地雲泥の相違があることを知らなくてはならない。
 

 ―「問うて云く後五百歳は汝一人に限らず何ぞ殊に之を喜悦せしむるや、答えて云く」より「行者を見聞して留難を至すべき由を説くなり」まで。


 この項においては、法華経の行者には留難があるということを、法華経の第四、また天台、妙楽、智度法師、伝教を引いて明かされ、しかも、御自身がこの先達の予言にあたっていることを示されているのである。また。何がゆえに留難があるかということを、文証を引いて説明せられている。


 智度法師の、法華経の行者に難のある理由を述べられているのは、まことにおもしろいと思う。それは、今日のわれわれ化儀の広宣流布を志す者によくあたっているからである。


 ―「此の経は五乗(菩薩・縁覚・声聞・天・人)の異執を廃して一極の玄宗を立つ」


 一極の玄宗とは、弘安二年十月十二日御出現の一閻浮提総与の曼荼羅を極説中の極説となす日蓮正宗である。この曼荼羅こそ一切衆生の仏種であるがゆえに、この仏種を知らざる凡人をしりぞけ、いかに聖人のように世間から尊ばれている学者でも、あるいは一宗の教祖でも、この御種を仏種となさざる者には、われらは頭からこれをしかりつけ、また釈迦仏法の大乗、小乗の教えをことごとく廃するから、これらの者は聞くのをよろこばず、しりぞけられたのを怒り、しかりつけられたのに怨みをいだいて、さまざまな留難をなすのである。


 また、いかなる人が広宣流布をする者にあだをなすかということを述べられているが、これまた、三世の生命観からして、いまの謗法の者をみるとき、深く感ずるものがある。


 おおせにいわく、
 「若は夜叉(地夜叉、虚空夜叉、天夜叉の三種あり、共に捷疾鬼)・若は羅刹(飛空地行の捷疾な悪鬼)・若は餓鬼・若は富単那(餓鬼中の福の最勝なる者)・若は吉遮(悪鬼の名)・若は毘陀羅(鬼名)・若は犍駄)・若は鳥摩勒伽(身の色黒く人の精気を食う鬼)・若は阿跋摩羅(青色の鬼)・若は夜叉吉遮(鬼名)・若は人吉遮(鬼名)』等云云、此の文の如きは先生に四味三教乃至外道・人天等の法を持得して今生に悪魔・諸天・諸人等の身を受けたる者が円実の行者を見聞して留難を至すべき由を説くなり」と。


 すなわち、円実の行者とは大聖人であり、これを見聞して留難をなした日本国中の俗人、または良観等の一類、または平左衛門等の一類は、先生に四味三教ないし人天の法を持得して、今生に悪魔、諸天、諸人となった者である。されば今日の、広宣流布にむかって行進する創価学会を非難し、攻撃し、かつ悪口罵詈する者は、また、この型に属するものであろう。


 ―「疑って云く正像の二時を末法に相対するに時と機と共に正像は殊に勝るるなり何ぞ其の時機を捨てて偏に当時を指すや、答えて云く」より「名字の凡夫なり」まで。


 この項においては、釈迦仏法の大小の功徳も、末法にはぜんぜんなく、本門の本尊、妙法蓮華経の五字こそ、閻浮提に広宣流布して民衆を救うのであり、御自身が法華経の行者なりと断定せられている。しこうして、法華経の行者は仏の異名であることを吾人は知らなくてはならない。


 巷間よく法華経の行者ということばを使うものがあるが、そんなみみっちい行者ではない。

 また、大聖人の御抄中の法華経の行者ということばは、仏と解しなければ、御聖意をとれないと、絶対に記憶しなくてはならない。


 しこうして、その末法のすがたをお説きになるのに、
「此の時に当って諸天善神其の国を捨離し但邪天・邪鬼等有って王臣・比丘・此丘尼等の身心に入住し法華経の行者を罵詈・毀辱せしむべき時なり」


とおおせられている。これこそ、吾人ら創価学会員が、神札を邪天、邪鬼なりとする文証である。国を捨離した諸天善神は神社に住むわけがないゆえに、その神社の名のある札には邪天、邪鬼が入住していると断ずる
 

 また「爾りと雖も仏の滅後に於て四味・三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん」
 

 これは、法華経の行者・御本仏日蓮大聖人に帰依するわれらをも守護するとの御心と解してさしつかえない。されば、われらもその守護の力をえて、本門の本尊の一国への広宣流布は疑いないものである。


末法の御本仏
 

 ―「疑って云く何を以て之を知る汝を末法の初の法華経の行者なりと為すと云うことを、答えて云く」より「然る間若し日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん」まで。


 この項においては、その疑って云くの文のなかに、大聖人が末法の法華経の行者たることを断言しておられる。先に述べたごとく、法華経の行者なりとは主師親三徳の大慈大悲の御本仏の謂である。しこうして、これを証明するに、法華経の文を引いていちいち大聖人の御身にあたることを明らかにし、身業読誦の意を述べられている。


 これをもって法華経の行者とも信ぜず、法華経の行者即末法の仏とも信ぜずば、その者らは、これ、盲目の者、われらをしていかんともなすあたわざる者である。


 ―「難じて云く汝は大慢の法師にして大天に過ぎ四禅比丘にも超えたり如何、答えて云く」より「豈大悪人に非ずや」まで。


 この御文意、じつに壮絶で浄光輝き、世に師子吼とは真にこのことであろうか。この声ひとたびひびいて百獣おののく、大聖人のこの御一言、邪宗邪義の連中、無量百千万ありといえども、おののかざる者あろうか。


 すなわち大聖人は、末法の御本仏としての御内証に立って、大聖人を法華経の行者にあらずという者を大声叱咤したのである。開目抄の講義にも説いたように、竜の口の御難のとき、子丑の刻に凡身の死の終わりをなし、寅の刻に久遠元初の自受用報身如来の生の初めをえられたのである。

 されば御義口伝に、法華経の行者の宝号を南無妙法蓮華経となすとおおせられたのはこの謂である。このゆえに、「日蓮を蔑如するの重罪又提婆達多に過ぎ無垢論師にも超えたり」とおおせられているのである。この言、おおいにあじわうべし。


 また、私に会通を加えるのはおそれおおいことであるが、現今の邪宗のやからが大聖人を呼んで、日蓮大菩薩とか、日蓮大師とか、あるいは三宝のなかの僧宝とかなすの重罪、提婆達多にすぎ、良観にもこえ、平左衛門の百千億倍にもあたる。


「疑って云く如来の未来記汝に相当れり、但し五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何、答えて云く」より「内の字は三洲を嫌う文なり」まで。


 この項においては、世界中に法華経の行者即御本仏は日蓮ただ一人なりとの御心である。中国にも、インドにも、東西北の三州にも、法華経の行者あるべからずとのご断定は、大聖人が仏でなくして、どうして、かくも強く断定しえようか。


 また、御文にいわく、
 「月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く」と。


 これは、末法には東より西に往くとは、日本に末法の仏法建立せられて、この御法、かならず朝鮮、中国、インドへわたるとの御予言である。この御予言が滅後七百年をすぎてまさに実現せんとする。もしこの御予言を実現せずんば、仏の未来記を虚妄にするの罪、われら仏弟子にあるのではなかろうか。おそるべし、つつしむべしと、思わざるをえないのである。


 ―「問うて曰く仏記既に此くの如し汝が未来記如何、答えて曰く」より「妙楽の云く『智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る』等云云」まで。


 この項において、末法の仏法が、かならず日本より興り、この仏法こそ前項に順じて考うれば、朝鮮、中国、インドへ流布することは、まちがいないのである。しこうして、その証拠として、釈迦の例を引いて、大聖人当時の天変地夭が大法興廃の大瑞なりと断ぜられているのである。


 これをもって、いま思うのに、他国侵逼の難、自界叛逆の難が起こったことは、広宣流布の先兆でなくてなんであろう。かならずや地涌千界出生して本門戒壇建立さるべきものか。


 ―「日蓮此の道理を存して既に二十一年なり」より、終わりまで。


 この項においては重ねて、法華経の文証どおり御自身が幾多の難を受けていることを説き、法華経の行者たることを再確認させているのである。しかも、宝塔品の心夢のごとくえたりとおおせられて、法華経難持のこと、われいま、よくこれを果たしえたりとなしていられるのである。また「今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり」とおおせられているのは、いつ死罪になるかわからない御生命の状態をおおせられているのである。


 その間に、余裕綽然として、かかる御書をしたためられ、そのうえに「我を損ずる国主等をば最初に之を導かん、我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん」との大慈大悲の御心をば、深く感銘するものである。
                            (昭和三十一年三月一日)