信者の大精神に立て

 突然、御法主上人様のお座替わりのご意向発表をおうかがい申しあげた。聞くところによれば、過日、本山内の重役会議の席で、日昇上人様からご隠退の意をもらされ、その席上でご決定とのことである。


 学会再建以来、御法主上人よりは数限りないご慈悲をたまわって、いまの学会発展をみることができ、まことに、いつまでも法主様としてお仕えできたらばと思うが、御仏意であるから私の感情はおそれおおい。


 先代牧口先生当時から、学会は猊座のことには、いっさい関知せぬ大精神で通してきたし、今後も、この精神で一貫する。これを破る者は、たとえ大幹部といえども即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない。


 むかし、関西に貌座のことに意見をふりまわして没落した罰当たり者があったそうだが、仏法の尊厳をそこなう者は当然そうなる。
 どなたが新しく貌座に登られようとも、学会会長として、私は水谷猊下にお仕えしてきたのと、いささかも変わりはない。新猊下を大聖人としてお仕え申しあげ、広布への大折伏にまっすぐ進んでいくだけである。


 思えば、こんどは二御隠尊様、一御法主様の三貌下がおいでになるから、宗門はますます磐石だ。これは、まことに喜びである。
 こんどの日昇猊下ご退座には、なにかの形で微忠の一端をあらわしたいと考えているが、これは全会員の気持ちではないかと思う。戦後の宗門が七百年祭を経て、いまの大宗門になったことを思うと、猊下のお徳の高さをまことにありがたく拝する。どうか、この戸田の精神を全会員の精神として、この発表をむかえるように望む。
                           (昭和三十一年一月二十九日)