わが愛する幹部諸賢に望む

 なにごとを興行するにも組織が必要である。


 会社事業にしても、たんなる芝居興行にしても、みな組織を有しているのは事実である。そして、組織には上下の連絡や、縦横の関係が整然としており、それがたとえ疎密の別ありといえども、上下縦横の区分のなかにかならず中心人物が配せられるのはいうまでもない。


 創価学会も一大折伏行を展開し、ここに民衆救済の先端をきっているのであるから、組織だてられねばならぬのは当然のことである。その組織の中心人物は地区部長、大班長、班長、組長の諸氏である。諸君は日蓮大聖人の弟子として、子として、家来として、御仏の旨を奉じ、世界平和のため、かつまたは苦悩の衆生救済のため、先頭をきっていることを自覚しなければならぬ。

 

 されば諸氏、身には功徳の雨をこうむり、手には折伏の利剣をにぎって、師子王の勇みをなしていることと固く信ずるが、これはただ予が信ずるのみにあらず、御仏も照覧しあそばすことなれば、予の期待にそむくことなく、本年一年も、この栄えある道を進んでいただきたいと思う。


 ことに、地区部長諸君はわが学会の大幹部であって、学会の目的遂行は一に諸君にかかっているがゆえに、予が諸君らを力とたのむこと、あたかも学会創立当時に支部長をたのんだと同様である。現支部長は予の期待にそむくことなく、ことごとく大支部長の貫禄を具現したものである。願わくは、これと同じく、諸君らも大地区部長として学会に重きをなす日の一日も早きことを望んでやまない。


 ゆえに、おのが地区の会員を子のごとく愛し、慈悲をもって指導し、おのおのに功徳を体験させるようにするとともに、支部長を兄のごとく助け、配下の班長、組長を弟妹のごとく抱きかかえていかなくてはならぬ。


 班長、組長諸君は、未来の学会大幹部として、自負をもって、学会の興廃双肩にありと先陣をきってもらわなくてはならない。


 願わくは予が各幹部諸氏、予が真意を解し、ことしも御本尊に至誠のご奉公あらんことを。
もって年頭の辞とする。
                         (昭和二十八年一月一日)