新年度に望む

 仏法が日本に渡って七百年、日蓮大聖人様が大慈悲のこもった題目を、日本の民衆へお贈りくださったのは、御年三十二歳のときである。以来、三十年間のご苦心は、ただただ、われら民衆に三大秘法の御本尊をお下げわたしくださって、地獄へ行く道をふさぎ、成仏の大直道を開かれて、いっさいを幸福にせしめんとのご努力であった。ありがたいかな、もったいないかな、大聖人様のご慈悲は。
 しこうして、爾来七百年、現代はいかなるすがたと化しているであろうか。いま、明鏡を引いて、もって世上のすがたをうつさんとするものである。


 立正安国論にいわく、
「薬師経の七難の内五難忽に起り二難猶残れり、所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり、大集経の三災の内二災早く顕れ一災未だ起らず所以兵革の災なり、金光明経の内の種種の災過一一起ると雖も他方の怨賊国内を侵掠する此の災未だ露れず此の難未だ来らず、仁王経の七難の内六難今盛にして一難未だ現ぜず所以四方の賊来って国を侵すの難なり加之国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱ると、今此の文に就いて具さに事の情を案ずるに百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ先難是れ明かなり後災何ぞ疑わん」(御書全集三一㌻
 立正安国論は大聖人様の予言書であり、大警告書である。この御書の文応元年七月より六百八十六年にして、大聖人様がもっともご心配であった事実が起こったではないか。大聖人のお悲しみ幾多であろうか。


 これ、いかなる災いによって、この災難が現出したのであろうか。いかなる原因によって、この敗戦日本のすがたが現出したのであろうか。いかなる理由によって、日本民族が苦しみのどん底に投げ捨てられたのであろうか。
 

 立正安国論にも示されたように、いっさいの邪教の横行から、このことが起こっているのである。これみな大聖人様の教えに背く宗教家の罪である。吾人をもっていわしむれば、日本を滅ぼした者は軍閥ではなくして、悪侶のなしたわざであると断ずるものである。それにもこりずして、今日の邪宗教の横行はなんたることであろうか。立正交成会、霊友会、PL教団、メシヤ教、天理教等々、数えきれないしだいではないか。吾人らは日本民族をこれ以上惨苦の底には堕としたくない。


 深く邪宗の横行を考うるに、みな本尊の雑乱よりおこっているのである。いま七百年をむかえるにあたって、正しく光輝ある御本尊の流布すべき時がきたのである。これ吾人が広宣流布の時きたるとさけぶゆえんである。願わくは同志諸君よ、広宣流布の人として、諸君らのみがえられる幸福をえ、かつまた、ともに日本民族を救おうではないか。
                             (昭和二十七年一月一日)