信念とはなんぞや

 竹内景助氏は、三鷹事件の主謀者として、共産党の花形として世間をにぎわした。
 氏が第二審において死刑宣告をうけるや、一瞬、そう白な顔となり、首うなだれたと新聞紙は報道している。
 同志九名は無罪で、自分一人が死刑の宣告をうけた。彼の心中は悲しむべきものがあるであろうが、しかし、主義に殉じ、かつ自己の行動に大確信があるなら、そんなにおどろくにあたらないはずである。悲しむべきではなかろう。むしろ、喜ぶべきではないか。
 

 肉体が一個の「物」であるという、彼らの考え方からすれば、なおさらではないか。
 

 しかるに、彼には、行動に絶対の確信がなかったのである。その理由は、新聞紙上(毎日新聞三月十三日付)伝うる彼の手記の一部を述べると、
 「刑務所で弁護団と合同面会をやっても党員九人だけでコソコソ打ち合せて私はいつも仲間はずれにされた。共産党員とはああいうものです。何人よりも党に理解をもち協力してきたのに、今一片の同志愛も示さないならもう何をかいわんやです。
 一昨年七月当時は私の全収入がたった八千二百円。これで一家七人が衣食住を充すので、私の所帯は難行苦行の歴史でした。このような人間苦の中に“首切り”を何としても撤回しようと計ったのは止むをえないことでした。五人の子供を抱えて苦しい妻は私の検挙された後、共産党に入り盲目的な浮っ調子になっていた。昨年の春まで府中刑務所で面会の度毎に妻をたしなめましたが、その当時は全く焼石に水、判決後おだて半分の手紙も来ず党員も寄りつかなくなって目がさめ私の所へ泣き言をいってよこす始末、困ったものです」


 一月二十五日付、谷中裁判長あての手記のなかから、
 「私は真面目な労働者が腹黒い投機者によって再び私のような愚挙をさせぬようざんげ者として失敗者として叫ぶのです。私は私の失敗のわだちを人々や子供達にふませたくないのです。
 裁判長さん、私は実に愚かでした。今までコミュニストこそ人間社会における最高の愛や勇気や徳操を持った人たちだと思ってきました。ところが現実私の身近に見られる党員の誤って獄につながれた生態の一半を知り、私は目がさめたのです。当時組合扇動者喜屋武被告が『竹内を極刑にしろ』と釈放後、放言しているとききました。彼が未決監でどんな態度をとったかは私をしてかつ目させます。未決監の懲役人を使そうして私のところへ来る手紙の内容、本の差入、食物まで一々疑って報告させたこともあります。そんな冷酷、さい疑、インケン、こうかつな人間たちに誤って指導権力を渡したら、それこそ実に彼らのいうファシズムであり、警察国家であり、熱い人間の涙を解し得ない機会主義者人間ロボッ卜への道だと考え、私はそんなイズムと闘わねばならんと思ったわけです。
 正しい労働組合の発展がかかる輩に翻弄されて、右往左往していることは実に愚なことである。挑戦者はだれでしょう。私の子また多くの働く人たちは断じて私の愚を繰り返してはならんと考えます」


 同志をうらみ、妻の同志活動を嘆き、かつ自分をいたるところで弁護している。
 彼は共産党の活動に、浮薄な確信で活動してきたにちがいない。さればこそ、死刑の宣告を聞いて、青くなるはずである。


 くらべるも、もったいないことであるが、日蓮大聖人が由比ヶ浜で、死に直面したときのあのおすがたは、崇高とも、極美とも、偉大とも申しあぐべきである。絶対の大確信でいらせられる

 

 鶴ケ岡八幡にむかい、「なにゆえに法華経の行者を守護せざるか」と諸神の怠りをおしかりになり、また「わが身を法華経にたてまつるは、フンをいれた袋を黄金の袋と取りかえるものである」とお喜びあり、「わが生命を法華経にたてまつった功徳を、弟子檀那に分け与えるぞ」と、大慈悲をお示しになっておられる。


 このように、行動の確信に天地の差があるのは、どこより生じたものであろうか。
 

 一人は凡夫、一人は御本仏の差ではあるが、永遠の生命を自覚し、絶対の慈悲に立ち、「民衆を救う法これ以外になく、万代にわたって民衆を救う者われ一人である」との大確信によるものである。

 すなわち、たもつところの法の、偉大と卑小によるものである。
 

 ゆえに、その後も、大聖人のお跡をしのんで法難にあった者、二百数十人と聞くが、みなみ
な法悦の境涯において難におもむいているのである。


 「大白蓮華」に日亨上人がご執筆くだすった三勇士の死なぞは、その典型的なものである。三人まず首を切られるや、女子等が大声あげて泣いた。役人が「なにゆえに泣くか」と聞いたのにたいし、「女とあなどって後に殺すとはなにごとである」と、文盲の女子がすこしも死を恐れなかったとうけたまわる。

 死は一時、生は永遠である。創価学会の同志も、いまや広宣流布の大旗を掲げて立ったのである。
 いまや広宣流布の秋である。勇まなくてはならない。しかし、自分の行動に絶対の確信のない者は、この大行進にはじゃまであるこの絶対の確信はどこから生ずるか、御本尊を信じきることにある


 御本尊は大聖人の御命であり、われわれの生命であることを深く掘りさげて知るときに、この確信がでるのである。
 大御本尊と一致の境涯の大根幹は、強力な信心であって、この信心によって、毎日の行は励まされてくるのである。


 毎日の題目の功力によって解が生じてくるので、解とは学問の理解である。学問することによって、すなわち大聖人の御書を精読することによって、毎日、行の助けをかりて信仰の根本義が理解され、理解することによって、信心がまた、ますます深くなり、信心が深まることによって、行をますます励むのである。


 信・行・学は、われわれ信者に欠くべからざる条件であって、折伏は広宣流布を誓った信者の必須条件である

 われわれがひとたび御本尊をたもつや、過去遠々劫の当初に仏勅をこうむったことを思い出さればならない。

「末法に生まれて広宣流布すべし」と仏勅をこうむっているのである。
 

 この仏勅を果たさんがために、われわれは出世したのである。仏の一大事の因縁は、二十八品の法華経を説かんがための出現であり、大聖人御出現の一大事の因縁は、「南無妙法蓮華経」を私どもにくださって、われわれ大衆を救わんがためである。
 われわれの出世の因縁は、広宣流布の大旗を掲げんがためである。
                          (昭和二十六年四月二十日)