④地蔵信仰
都会の一隅に建った小さなお堂、田舎の村道に色あせた赤いヨダレかけをつけた石像と、日本中いたる所にみられるのは地蔵である。四の日の縁日には誰ということなく、線香や華、オムスビにダンゴと供物がささげられている風景はよく見かける。
地蔵について、くわしいことを知る人は少い。世間では、地蔵菩薩はみんな救われるまで成仏を願わず、道ばたに立ちつくすとか、賽の河原に遊ぶ子供たちを守護するとか、冥途でエンマに罰せられるのを救ってくれるなどといっている。
しかしもともと地蔵は印度の神様であり、バラモンの地天(地神)として、大地を崇めたものであった。仏教の中では、「地蔵菩薩本願経」「地蔵十輪級」「地蔵十王経」などがあるとされているが、後世の偽経といわれている。たとえ釈迦が説いた経文であるとしても、バラモン化導のために方便として用いた爾前経の一つで、末法には何の役にも立たず、功徳はないのである。
その他霊験ばなしは、各地さまざまであり、呼び名も数多くある。延命地蔵、子安地蔵、とげぬき、足洗、いぼとり、首切り、雨降りと、それぞれに因縁ばなしがついている。
その一例をあげると、むかし毛利家の女中が針をのんで苦しんでいたとき、地蔵の絵姿をのんだら、針がくるまって出てきた。(巣鴨とげぬき地蔵)いらい地蔵を印刷したオスガタをはるとトゲが自然にぬける。地蔵を洗った水で病気の部分を洗うとなおる(足洗い地蔵)とか、まったくの迷信ばかりである。立身開運、家内安全などの御利益も、宣伝ばかりで根拠がない。
もし地蔵がいたとしたら、御本尊を信ずる者を守護する役目こそすれ、末法の衆生が地蔵を信仰の対象に選ぶのは間違いである。
大聖人も「顕謗法抄」の中で、今どき地蔵やアミダを信ずるものは、すベて無間地獄におちると強く仰せられている。