②鬼子母神


 今日、中山の法華経寺、雑司谷の鬼子母神堂など日蓮宗各派では、盛んに鬼子母神をまつっている。そして「鬼子母神の像の前で法華経を読めば、安産、厄除け、虫封じにきく」と祈禱を看板にしている。


 鬼子母神は次のようにいわれている。昔印度に訶利帝薬叉女という女がいて、一万人の子があった。その女は常に人の子を見ると取って喰うという鬼女である。人々がうれえて仏にうったえると、仏が衆生をあわれんで、鬼女の最愛の一子をかくした。薬叉女は子供がいないのに気付いて狂気のように探したが見当らず、遂に仏の前へ行って尋ねた。そのとき仏は、お前は沢山の子があっても、一子を失ってなおその苦しみがある。世間の人はその大切な子をお前に殺されたのだと説く。そこで薬叉女は自分の非をさとり、仏に帰依した。
 

 これは人の母性、つまり人の子を殺しても、自分の子を可愛がる性質をあらわしたもので、人の精気を喰う悪鬼たる鬼子母神も、法華経へ来て成仏し、善鬼として法華経(大御本尊)を持つ者の守護を仏に誓うのである。これは法華経陀羅尼品に説かれている。
 

 このように鬼子母神は正しい仏教を護持する人を守護する約束をしており、今日では日蓮正宗の御本尊を護持するものを守護するのが役目なのである。
 この鬼子母神を本尊とすることは、とんでもない誤りである。まして中山のように鬼子母神と陀羅尼と結びつけて祈禱するなど、まったく天魔の行為であるといわなければならない。
 

 そこに配られている像は形こそ鬼子母神であるが、その正体は魔であり、これに向って題目をあげたり、陀羅尼をとなえれば、魔に感応して、小利益こそあれ、生命を損い悩乱して、不幸におちてゆくのである。