(八)、PL教

PL教の生いたち
 明治の末ごろ、大阪商人の間に流行した「お振替で病気もなおり、株や鉱山が当る」という徳光教 ー教祖金田徳光ー の教えをうけて、御木徳一がおこした「ひとのみち教団」は、昭和十二年、教祖徳一の投獄にあってから内部分裂で崩壊してしまった。
 PL教は、その徳一の息子御木徳近が、戦後、看板だけをぬりかえて、ダンスやゴルフをとり入れるなど、モダン調の宗教として再び旗上げしたものである。


PLの教え
 基本的な教義は、(一)、人生は芸術である。(二)、人の一生は自己表現である。(三)、自己は神の表現である等、二十一カ条からなっており神律と呼んでいる。

 すなわち人の一生は自己の表現だから芸術であり、神の道に即した生活でなければならぬ。その神の道とはPLの教えで自我を離れた個性の表現だなどと説く。
 従って一切の不幸は心の持ち方が悪いからで、PLの処生訓(みおしえ)を実行すれば、幸せな楽しい芸術生活ができるというのである。


 このように、教義はまったく道理も因果も無視したもので、キリスト教のような神の存在を説くかと思えば、低劣な道徳論を並べたてる。心の持ち方で災難がおこるのなら、悪徳を働く人が栄えたり、また生まれたばかりの子供が病弱で不具であるなど、この現実をどう説明するのであろうか。それよりも、熱心なPLの信者が一向に幸せにならないのはなぜか。PL教には、何らこれらを裏づける哲学も文献もないのである。


宝生袋とその制度
 PL教の財源は、信者の家庭に渡される宝生袋に納められる献金にある。金はすベて神から恵まれたものだから、感謝して神に献上すべきだといい、その額によって教師の順位や月給もきまる。勢い信者は宝生精神を発揮させられて、スッテンテンになると身献(みささげ)といって肉体奉仕だ。広大な本部の殿堂や、ゴルフ場、野球場も、みな信者の奉仕による。こうして信者は、身も心もむしばまれて行くのである。