(四)、金光教

 俗に『コンコウサン」といわれ、徳川末期から明明治初年にかけて、農民の間にこの信仰が始まった。金光教の開祖は生神金光大神といって、今の金光摂胤が三代目。この三代目相続には、肉親間の、みにくい争いから、教団内部の「お家騒動」がもちあがり、世間をにぎわしたことは有名。
「天にまかせよ、地にすがれよ」と説いて天地の恩恵、大地の霊徳にさからうと、金神の障り祟りがあるといって、無智につけこみ、「金光る金乃神」つまり『天地金乃神』なるものをデッチあげた。この神様は昔からあるもので、宇宙一切をつかさどる有難いものじゃというのだが、誰もお目にかかったことがない。それもそのはず、神訓に「神は声もなしかたちも見えず、疑ば限りなし恐るベし疑をされよ」と謎めいたことをいってごまかしている。

 

 架空の神を実在の神として祀りあげようとしているのだからおそろしい。
 人はみな神様の子というのに、苦しみ悩みはどういうわけかといえば、天地金乃神に無礼致し (因) ー 前々の巡り合せで(推移) ー 難を受けている(果)と、妙な因果の法則をたてている。

 

 生活をみきわめようともしなければ、生命の実態もわからず、普遍妥当性をもつ因果とはまったく別ものだ。
 金光教の教典にある神誡、神訓、御理解にある教えは、いずれもわかりきった道徳論と低劣きわまりない外道の教えとをゴッチャにしたような教義である。欲をはなれれば必らずひらけるというが、人間欲をはなれたらどうなるか、生きる必要もなかろう。
 

 上品な信心、布教しない信心を看板にしているが、教会に通っては賽銭の代りに、「お饌米」(米粒)を頂戴して帰る青ざめた人たち。春、秋二回の大祭には、岡山県の本部に、山の幸、海の幸がどっさりと運びこまれる。明年 昭和三十四年で、立教百年とさわいでいるが、大正十四年に本部が大火全焼したのは何をものがたるのだろうか……。