二、迷信と魔の通力

   迷 信


 日本人の日常生活の中には、かなりの迷信が入りこんでいる。一応本尊となるようなものがあるものを除けば、生活習慣から来るものと、低級思想をもとにしたものとの二つになる。

 一、生活習慣から起った迷信

 よく世間では「三人で写真をとると真中の人が早死する」「爪や髪を焼くと気狂いになる」「出がけにほころびをぬったり、ボタンをつけたり針を使うと外で怪我をする」などという。又農村に行くと「種をまく時、まき忘れたうねがあると不幸がある」「妊娠中カマドを修繕すると兎口の子が生れる」等々、漁村では「猿の話をすると漁がない」等、あらゆる日本人の生活の中にわたっている。


 こうした生活習慣の中からおこる迷信には、他愛のないものが多いが、それでも農村・漁村にはいまだに根強く残っている。こうした中には永い年月の経験によって真をうがったものがあるが、大半は全く根拠のない語呂あわせ「猿は去るに通ず」など、連想によるものや単なる思いつきのものが多い。文部省の迷信調査協議会の調査結果によると、国民の保健上有害のもの五二・七%、保健上有害でも無害でもないもの四〇・四%、保健上有益のもの六・八%となっており、また(A)自然科学的に見て因果関係の認められないもの九二・三%となっているのを見てもわかるように、信ずベきものではない。

 

従ってこうした迷信は一日も早く十分究明し、近代科学におきかえられるべきである。

 

 

 二、低級思想から起った迷信

 この方の横綱に、十干・十二支に五行説を組合せた相性判断と、六曜・九星等から出る日の吉凶と、さらに方向を問題にする鬼門などがある。
 十干・十二支も、もとは日月を数える順序数で、迷信には直接関係のないものであった。それが後に易の陰陽・五行説の相生相剋の考えを取りいれて、吉凶の判断基準とした。さらに我が国では、生れ年の動物の性質が、人の性質や運勢にも影饗を及ぼすように信じられたのである。これらの説は古代中国の極めて低い思想にもとずくもので、その配当の方法もでたらめで根拠薄弱である。特に甚しいのは丙午(ひのえうま)で、丙午年生れの女は夫を食い殺すという迷信があり、このため徳川時代にはその年に生れた女児を密殺したり、明治時代には結婚不能・失恋・厭世自殺等の惨事がしばしばだったといわれている。現在でも結婚の時の相性判断がかなり行われている。結婚による幸・不幸を根拠のない相性を基準にしたところに、大きな誤りがある。
 

 厄年についても同様のことがいえるが、この方は多少、年令による肉体の変化期にも当っており、根拠がないこともない。しかしこれを利用して邪宗教が、厄除け祈願等に結びつけたところに害毒が流れているのである。

 

 太田左衛門尉御返事(御書一〇七一頁)に、「厄の年災難を払わん秘法には法華経に過ぎずたのもしきかな」と仰せられている。
 日の吉凶も相当根深い。太陽暦になった今日の暦の中にさえも、先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口などと書きこんである。そして出向、葬儀の吉凶を占っている。しかし友引なども全くこの出所はでたらめである。

 中国の暦に「天飜地覆日」という凶日があり、それが「留連」に結びつき、日本に来て「流連」と改められ、さらに「友引」に脱線、葬式をすれば友を引くとこじつけたのである。以下同様で全くの迷信である。

 

 釈迦も涅槃経では「如来法中、吉日良辰を選択すること有ることなし」といっている。
 

 方角もまた同様である。五行説その他をもとに作り上げられた迷信で、建築などで方向のさわりをさけるために不便をしているなど、まったくおかしなことである。


 以上のようなものが、さらに邪宗教と結びついて、厄おとし、虫封じ、魔よけ等と呪術的な信仰を生み、一層人々を不幸におとしいれてゆく。