四、神棚やお札を取るわけは
まず御札を取る理由をいう前に御札の種類を知らねばならない。
御札は神社から来る神札か、仏閣から買ってきた、またはもらってきた仏の名を書いてあるものか、または仏菩薩、不動明王等の絵のついたものかである。
大きくわけて神社のものと仏閣のものとであるが、仏教関係の札は別項で論じてある通りである。
神社のものは神の力がその札にあふれておりその力によって人が守られると考えている故、もらって来るのであるが事実は全然逆である。
まず神とは何かということすら知らないのが普通である。神とは正しい仏法を行ずる者を守護するものに対して呼ぶ名前であり、これ以外に諸天善神の存在はない、あとは名前のみ神で実体が違っているのである。
諸天善神は信仰の対象とすべきものではなく、我々が正しい仏教を行ずることによって、諸天善神の方から我々の身のまわりに集まってきて守ってくれるものなのである。
よって我々が神札を作ったりもらったりして拝むことは、まったく見当違いなことであり、これだけならば大したこともないようであるが、大聖人の仰せの通り、日本に正しい仏法が行われていないから、善神は威力を失い、日本国から去ってしまって、現在はいないのである。つまり正しい仏法を行ずる者を守る役目をはたそうにも相手がいないため、諸天善神は去ってしま
ったのである。故にあとに残ったものは悪鬼神だけであるから、紙や木に神の名前を書いて信仰の対象にすると、そこには悪鬼神、魔神の働きがこもるわけである。よってこれをおがめば人に害をあたえるのは当然のことであり、不幸の原因でしかないわけであることもわかる。
故にこれら人間に害を与えるものは、早く取りはらって焼きすてるのが当然である。また神札を取りはらったあと、神社の形をしている小さい御宮、即ち神壇を残しておくことは一時よそへ逃げて行った悪鬼神・悪魔神にいつでも帰ってこれるように住家を用意しておくことであり、実際問題としての体験からおしても必らず魔神の働きをあらわしているのである。すなわち魔神
を一度追放しても、その魔神の影が常に住家である神壇にうつっているため、やはり神壇が魔神の働きをするわけであるから、神札と一しょに神壇も取ってしまわねばならないのである。
人間を不幸にするものと気がついたならば一日も早く取らねば、魔神は必死に妨害工作をして来るものである。すなわち今までじりじりと害を与えてきたのが、急に大きな力で害を加えてきて、神札、神壇を取り去る力をうしなうまでせめて来るものである。故に悪いものと知ったならば邪魔の入らぬ内に至急に取り払い焼きすてることが大事である。