七、御利益を願うのはおかしい

 世人はいう、「御利益を願って信仰するのはおかしいと思う」と。

こういう人は次のような重大な誤謬を犯していることを自覚すべきである。
一、には人生の目的を知らないで宗教を生活の実相から遊離して考えている。
二、には偉大なる真の宗教の威力とその存在を知らない。
 

 まず一、の人生の目的は意識するとしないとを問わず、すベての人は不幸を排除し幸福を追求している。病人が健康を求め青年が知識を求め商人が利潤を追い政治家が立派な政治をしようと努力するのも、科学者の努力も革命家が血を流すのもすべて幸福の追求に外ならないではないか。これを要するに吾人の生活より幸福の追求を否定すれば何が残るか。不幸が残るのみではないか。人生の真実の姿は絶えず幸福を追求しているのだ。これが御利益を願う生活の真実の姿である。  

 宗教の信仰だけが、幸福とも御利益とも関係ないなどということはありえない。これをおかしいというのは、生活の実相から遊離して宗教と道楽を間違えたか、葬式屋と化した腐敗宗教に迷わされている者のいう言葉である。

二、に真の宗教の成力とは人生最高の目的たる仏の境涯に一切衆生を立たせることである。この境涯に立ちうる証拠として、現在の悩みの生活の中から、生命の本質を見つめ、永遠の生命を自己の生命の中に証得し,くずれない幸福、誰にもうばわれない幸福をえて歓喜の生活に変えることができるのである。


 邪宗教.低級宗教の説く利益は、その境涯自体が地獄・餓鬼・畜生・修羅の境涯の衆生の願いを満足させるにすぎない小さい低い利益であって、真の幸福からみれば問題にならないのである。こうした一時的な小利益から一歩も出ない邪宗の利益を説くのは、正しい宗教ではないことに気がつかなくてはならない。

 

「病気がなおる」とか「金がもうかる」などの言葉にみな迷っているために、家教の偉大さを知ろうとしないのが、現代の知識人の姿である。一歩ふりかえれば、各人は福運に恵まれない宿命に悩み、不平不満の日を送り、矛盾だらけの社会に苦しみただ自分を護ることに一ぱいな生活に明けくれている。この点によく目ざめて、大いに真の宗教の大利益を求むべきである。