二、創価学会はなぜ弘まったか

 わずか七年間に、八十万世帯二百万人を数えるにいたった我が学会の大躍進ぶりは、われわれの想像以上に、社会各層の驚異の目をみはらしめている。
 そうして、ナゼこうも発展してやまないかについて、とかくの考察というよりは憶測が行われ、ジャーナリズムを賑わしてきた。


 云く「暴力をふるって入会を強嬰する」
 云く「軍隊組織によって折伏を命令強制される」
 云く「折伏すると何がしかの金がもらえるから」など、枚挙にいとまがない。


 これらはみな、学会の大折伏によって、邪悪の本体を暴露し、乞食のような惰眠の夢を破られ、信徒の激減にアワテふためいた邪宗坊主共の怨嫉に端を発し、低劣な三流新聞の悪意にみちた誹謗・捏造記事が伝わり伝わって、こうした誤認識の評価が平然と横行するようになったものであり、論ずるに足らないものばかりである。およそ、世の中に、暴力に屈服して信仰に入るバカがあるであろうか。また、「折伏すれば金」などというのも、金力と権力に目がくらんだ濁りきった社会、邪宗の「おみちびき」の先入観から生まれた憶惻であり、それをいう人間の賎しい恨性はあわれという以外にない。


 最近は、さすがに学会にたいする認識が改まってきて、金や暴力云云の言葉は、影をひそめてしまったが、まだ、「組織力云々」という皮相的な考え方は抜けきれないようだ。命令や強制で誰が難事中の最難事である折伏に、喜々として励むであろうか。

 また近ごろは会長戸田先生の偉大さにふれ圧倒された結果、「会長の人間的魅力云云」と、戸田先生を教祖的存在としてとりあげ、「会長の死後は学会は空中分解を起して崩壊する」などと、おかしな関心を
示してきたが、これも見事に的をはずれた。先生の逝去にあってその深恩を感じ、奮起した学会員の折伏意慾はいやが上にも昂まり、成果は上昇し、小泉理事長を中心とした幹部の団結は固く微動だもしない。

 世の心ある人々は、ここに、昭和三十二年秋、戸田会長先生最後の大総会における大獅子吼を想起すべきである。「学会には信心がある。大御本尊様がある!」と。信心の根本、日蓮正宗の三大秘法の大御本尊様の御威徳に目をいたし、耳を傾けるベきである。
 

 学会こそは、大聖人の御遺命のままに、全世界の民衆を救うベく時にかなって出現した清浄無比の一大和合僧団であり、日とともに、大御本尊様の大功徳、御威光によって発展し、今後広宣流布達成目ざして、大驀進を続けるものであることを知るベきである。