第三節 宗教革命と世界平和

 日蓮大聖人が宗教革命に御のり出しになられて七百年になる。始めは日本民衆は大聖人の御慈悲にこたえず種々の難にあってこられたのである。その門下も「時を侍つべきのみ」と仰せられた大聖人の深秘の御主旨を心に彫んで、ただただこの大法を時のくるまで堅く堅く守護して、今日にいたったのである。時は次第に流れた。富士大石寺の奥に秘蔵された大御本尊の御威光は、すきもる光のようにかすかに日本全国を照らしていた。
 これを見て大聖人を恋慕し奉る者たちは、御本体を知らずといえども南無妙法蓮華経と唱え出したのである。今日本国は南無妙法蓮華経の題目を、信ずると否とにかかわらず、知らない者がないほどになった。一国に題目は拡まったのである。題目こそ広宣流布したのである。しかるにまだ富士大石寺の秘蔵の大曼荼羅は、世に出現あそばさないのである。


 真実の広宣流布は、大聖人の宗教革命の真髄たる三大秘法の南無妙法蓮華経が、一般世界人類に行きわたることである。
 

 三大秘法とは南無妙法蓮華経の題目と、大聖人出世の本懐たる南無妙法蓮華経の本尊と、三大秘法抄の定義による国立の南無妙法蓮華経の戒壇である。

 されば三大秘法の広宣流布でなければ、まだ広宣流布せりとはいえないのである。七百年にわたる絶えざる宗教革命は徐々に最終へと近づいてきたのだ。
 第一に題目が一国に流布して、まさに大聖人出世の御本懐たる弘安二年の大曼荼羅の御出現を待っている。
 第二には次の御抄を拝して、時をかんがえて見なくてはならない。

顕立(けんりゆう)正意抄(御書五三六頁)に
「日蓮去る正嘉元年太歳丁巳八月二十三日・大地震を見て之を勘え定めて書ける立正安国論に云く『薬師経の七難の内五難忽ちに起つて二難猶残れり所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり、大集経の三災の内二災早く顕れ一災未だ起らず、所位兵革の災なり、金光明経の内の種種の災過一一起ると雖も他方の怨賊国内を侵掠(しんりよう)する、此の災未だ露われず此の難未だ来らず、仁王経の七難の内六難今盛にして一難未だ現ぜず所以(いわゆる)四方より賊来って国を侵すの難なり、しかのみならず国土乱れん時は先ず鬼神乱る、鬼神乱るるが故に万民乱ると、今此の文に就て具さに事の情を案ずるに百鬼早く乱れ万民多く亡びぬ、先難是れ明なり後災何ぞ疑わん、若し残る所の難・悪法の科に依って並び起り競い来らば其の時何為(いかんがせん)や」云云」
 以上のその時何(いかん)がせんやとの御言葉を深く味うべきである。しかるに七百年間、この言葉に日本民衆がこたえなかったのである。遂に七百年になんなんとして昭和二十年八月十五日、三千年の歴史をとじて日本は亡国と化したのである。
 これ大聖が日本に出現して、しかもかかる不幸のあるは大聖の罪か。大聖の命を奉ぜざる民衆の罪か。民衆を守りたる神々の罪か。吾人ごとき凡夫は知るべからず、ただ仏眼によるのみ。


諫暁八幡抄に云く(御書五七八頁)
「仏法の味をなめてこそ威光勢力も増長すべきに仏法の味は皆たがひぬ齢はたけぬ、争でか国の災を払い氏子をも守護すべき、其の上謗法の国にて候を氏神なればとて大科をいましめずして守護し候へば仏前の起(き)請(しよう)を毀(やぶ)る神なり、しかれども氏子なれば愛子の失のやうに・すてずして守護し給いぬる程に、法華経の行者をあだむ国主・国人等を対治を加えずして守護する失に依りて梵釈等のためには八幡等は罰せられ給いぬるか、此事は一大事なり秘すべし秘すべし、有る経の中に仏・此の世界と他方の世界との梵釈・日月・四天・竜神等を集めて我が正像末の持戒・破戒・無戒等の弟子等を第六天の魔王・悪鬼神等が人王・人民等の身に入りて悩乱せんを見乍ら聞き乍ら治罰せずして須臾もすごすならば必ず梵釈等の使をして四天王に仰せつけて治罰を加うべし、若し氏神・治罰を加えずば梵釈・四天等も守護神に治罰を加うベし梵釈又かくのごとし、梵釈等は必ず此の世界の梵釈・日月・四天等を治罰すベし、若し然らずんば三世の諸仏の出世に漏れ永く梵釈等の位を失いて無間大城に沈むべしと、釈迦・多宝・十方の諸仏の御前にして起請を書き置ほかれたり。
今之を案ずるに日本小国の王となり神となり給うは小乗には三賢の菩薩・大乗には十信・法華には名字五品の菩薩なり、何なる氏神有りて無尽の功徳を修すとも法華経の名字を聞かず一念三千の観法を守護せずんば退位の菩薩と成りて永く無間大城に沈み候べし」


 この御抄によって勘えるに秘法中の大秘法・正法中の大正法が日本に建立されているにもかかわらず、七百年間民衆は「見ず聞かず驚かず又悟ろうともせぬ」により仏罰が日本に下って亡国となったのである。この亡国が因になって日本民衆は救われるのである。しかもこの亡国いらい民衆は塗炭の苦しみにおちたのであって、民衆は頼みとなるベき何物かを求めるのに急である。
 この「すき」をねらって、哲学もなく伝統もない又なんら民衆を救いえない新宗教が、雨後の筍のごとく発生して人心を惑わし、ますます混乱へと導きつつある、しかして殺人・一家心中などの悲惨事は日に日にと増長しつつある。

 しかれば前述の御抄を拝して、立派な一大秘法のあるのを民衆が省みて尊敬せずすてて恐れざるのとき、国王及び守護神がその民衆を責めないならば、他国の梵釈がその国の国王及び梵釈を責めるの道理にまかせて、その国が治罰されるのである。マッカーサー元帥はその人であって、日本の神々はマッカーサー元帥にしかり飛ばされたのである。まさにこの亡国のとき、真の仏法が日本に存在するかぎり発芽しないわけはないのである。すなわち亡国は真の仏法発展の兆であるが故に、時が来れりというのである。
 第三に大聖人の仏法が東洋の仏法として、日本より朝鮮・支那・印度へと必らず渡るべきことが、大聖人によって予言せられており又その時に今は際会していることである。
 静かに日蓮大聖人が立宗より大御本尊確立までの、東洋及び日本の姿を注視せよ。
 蒙古は宋の国をほろぼしつつ東洋の平定にかかり、遂に弘安二年に宋の国はほろびてしまった。その以前に東洋の諸国は併呑(へいどん)せられて、日本のみが残ったのは御本尊出現の奇しき縁のためか。その日本も歴史的に調べてみるならば、元の総国力をあげてきたなら風前の灯であったのは寒心のいたりである。全東洋が戦禍のために民衆は苦悩の極に立ちいたったのは今日の東洋の状態によく似ていた。かつ日本の民衆がたえず蒙古襲来におびえていた姿は、今日の日本民衆が原水爆弾におびえているのと同じである。
 それに日本民衆の苦悩は、立正安国論に拝するがごとく、実に悲惨なものであり、この時に大聖人は御本尊を建立遊ばされたのである。しかして正に御建立当時と同じく、全東洋民衆が困苦の極に達した今日を最初として大法は日本国に弘まり、全東洋へと弘まるのである。顕仏未来記(御書五○八頁)に大聖人の仰せには、「仏法必ず東土の日本より出づべきなり」と、これは大聖人の仏法が未来の仏法であるとの金言であらせられる。又諫暁八幡妙(御書五八八頁)に云く、「天竺国をば月氏国と申すは仏

の出現し給うベき名なり、扶桑国をば日本国と申す あに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向へり 月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ 日本の仏法の月氏へかへるベき瑞相なり、月は光あきらかならず、在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すベき瑞相なり」
 又、顕仏未来記(御書五〇八頁)に云く、
「但し五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何、答えて云く四天下の中に全く二の日無し四海の内豈に両主有らんや、疑って云く何を以て汝之を知る、答えて云く月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く」

 

 以上の御抄に拝するがごとく、印度の仏教が東へ東へと渡ったように印度・支那へと渡るのである。この日本に建立せられた真の仏法は、大聖人を御本仏と仰いで朝鮮へ、支那へ、印度へと、西に向って発展し全東洋の民衆を救うのである。創価学会は絶対にこれを信ずるとともに、この目的に向って活動を開始してきた。
 全東洋へと大聖人の仏法の進出する時は、日本一国の広宣流布は問題でなく必らず到達するものであり、戒壇の建立もその時は当然のこととして実現され、一国民衆の尊崇をうけることはいうまでもないのである。
 以上の三理由を要約すれば、三大秘法のうち名ばかりの南無妙法蓮華経が日本一国に響き渡ったこと、亡国という事実に直面したことは時が来たことを示すこと、この大聖人の真実の仏法は東洋の仏法たる本質を具備していることにつきる。故にこの真実の三大秘法の仏法を根幹として全世界に流布するならば、すなわちこの秘法をもって宗教革命をなすならば、全世界は絶対に平和にならざるをえないのである。
 これを吾人が主張する文証は、如説修行抄(御書五〇二頁)の次の仰せを信ずべきである。


「天下万民・諸乗一仏乗と成って妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば、吹く風枝をならさず、雨壌(つちくれ)を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり」