第二節 日蓮大聖人と宗教革命

 日蓮大聖人御出現の時代は、真言・禅宗・念仏宗・律宗等の過去の宗教は時にあわないし、衆生の機根にも同じないでみな正義を失っていた。正法像法の釈迦仏法が只形骸だけを残し儀式だけあって民衆を救う力なく、ただ僧侶がありがたそうな形をして民衆をだましている時であった。
 その上に法然の念仏宗は末法と称して法華経を排撃し、邪宗の棟梁として幅をきかせている時代であった。
 ここに日蓮大聖人は一切経を読破すること三度、仏教哲学の奥底を悟り、時世をかんがえ、教義と照らしあわせて「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」と断定し、釈迦の予言にもとづき上行所伝の南無妙法蓮華経を旗印として、宗教革命に御立ちになったのである。


 日蓮大聖人は仏教哲理の上から仏教上の効用から、一切の低級宗教は最高第一の正法の現われた時邪宗教と化し、又この邪宗教の存在が一切の世の中の不幸の原因をなすと論破せられたのである。立正安国論にせよ、開目抄にせよ、この論理は徹底せられている。この不幸の原因を一掃して国を安泰ならしめんと大覚悟を定められたのである、これは開目抄の中の次のわずかの部分を拝しただけで、十分にわかるのである。
 

 宗教革命断行についての御覚悟として、開目抄(御書二○○頁)に云く

「日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり、これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るベし、いはずば慈悲なきに・にたりと思惟するに法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに・いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕ベし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしとしりぬ、二辺の中には・いうベし、王難等・出来の時は退転すべくは一度に思ひ止るべしと、且(しばら)くやすらいし程に宝塔品の六難九易これなり、我等程の小力の者・須(しゆ)弥(み)山はなくとも我等程の無通の者・乾草を負うて劫火には・やけずとも我等程の無智の者・恒沙の経々をばよみをぼうとも法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ。
 既に二十余年が間、此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり二度は、しばらく・をく王難すでに二度にをよぶ、今度はすでに我が身命に及ぶ」
 このように小難大難覚悟の上の宗教革命である。何と尊いことではないか。しかもその宗教革命の理論及び確信については、懦夫(だふ)も立つ意気にもえたのである。同じく

開目抄に、(御書二三二頁)
「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞限の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるベからず」

 この大決心の宗教革命にもかかわらず、遂に日本民衆の愚迷により大聖人に背いて、亡国の悲運を招いたのは実に嘆かわしい次第である。