第四節 新興宗教


 現代の宗教界を見ると既成宗教の仏教は形式化して葬式屋となりはて、敗戦と共に国家の保護や特権をことごとく失い、わずかに墓番だけが仕事のようなあわれなどん底におちた。それに反して社会の不安に乗じて思想の混乱とともに新興宗教という一群の邪宗教が発生した。しかもこの新興邪宗教は正しい哲学も教義もなくデタラメな邪義をふりまわして、病気がなおる、お金がもうかると宣伝し、お祈りだ、おさすりだ、罪障消滅だなどと非常識きわまるやり方で金もうけに狂奔し、ますます人々を不幸のドン底におとしこんでいる。
 その新興宗教の中でも、題目を唱え日蓮大聖人の名を騙(かた)るものが大部分である。ここにかかげるのは明治以降に発生した題目を唱える新興宗教であるが、その数はあまりに多いので代表的な一部だけを挙げることにする。

一、霊友会

 数ある新興邪宗教の中でも代表的な存在は霊友会である。戦後における新興邪宗教は霊友会の分派が圧倒的に多い。その主なものを拾っても、立正交成会、孝道教団、妙智会、仏所護念会、妙道会、法師会、思親会、正義会教団、大慧会教団などがあげられる。
 この霊友会はいかにして発生したものだろうか。大正の始めに、横浜にいた西田俊蔵は二人の子供が唖といざりで悩んでいた所から、近所の無縁墓を清め洗うことを始めた。彼はそれらの戒名を自宅の仏壇にまっって題目を唱え仏所護念の信仰と称した。合せて常不軽菩薩の業としてすべての人に合掌して歩いた。


 やがて、その信者に小谷安吉、その妻キミ、弟の久保角太郎が加わった。三人は赤坂の三畳間で猛烈な荒行を続け、大正十二年に霊友会の旗あげをした。まもなく小谷キミは会長となり現在まで霊友会を牛耳っている。小谷安吉は昭和十四年に胃潰瘍で事業の中途で死亡し、久保角太郎も胃ガンで昭和十九年に死亡した。現在は久保を御恩師と呼び小谷キミが会長で久保の息子継成と中心となっている。


 教義の大要をみると「本会は法華経の大義を遵奉し、その奥義とする所の先祖供養を行践し……」などとある。即ち死んだ先祖が「仏様」だと考える日本人の誤った風習と法華経の「仏所護念」の一句とを結びつけて、先祖の戒名を拝めというのである。最近はやはり法華経の奥義と先祖供養をとり違え、読経によって諸精霊を成仏させて自らも修養するので、霊友会に入会しなければ効果はないなどといっている。
 

 いずれにしても先祖の戒名を本尊として拝むのであるが、先祖はあくまで死人であって仏ではない。溺死人や轢死体となって地獄の苦しみをしている死人を本尊として拝んでどうして幸福になれるだろうか。逆に感応妙の原理によって、死人の戒名にあらわれる地獄の生命に自分の生命が感応して苦しみ悩むようになり、先祖を道づれにして大不幸におちていくのである。
 

 更に彼らは仏所護念の言葉をとんでもない意味に使っている。そもそも法華経の仏所護念とは『妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名つくる法』と説かれているのであって、仏所護念とは仏が護り念じ給う法であり、その実体は寿量品の如来秘密神通之力であり、また末法においては事行の一念三千の南無妙法蓮事経の大御本尊であらせられることは、釈尊の教であり日蓮大聖人の明白に御建立遊ばされている所である。もって霊友会の教が、全く浅薄な曲解であり、大衆を迷惑する邪教であることを知ることが出来るのである。
 

 その修行にいたっては法華経一部を読誦したり、霊界との通信と称して水行をし九字を切って荒行を行っている。これは身延や中山の邪義をとり入れたもので大謗法である。

 

 彼らがだまされて、いわゆる「おみちびき」をうけて入会すると勧誘してくれた人を「おみちびきの親」と呼んでいる。「法名の功徳」をえているという親が「総戒名」なる位牌をもってくる。それに先祖の戒名をありったけ集めて朝夕拝ませる。そのうちに「おみちびき」を始めさせられ、できないとキリスト教のようなザンゲをさせられる。だんだん不幸になり金をまきあげられて、遂には高額なニセ曼茶羅をつかまされるころには地獄の深みにおちこんで半狂乱になってしまうのである。


 その他あげれば数限りないが、本尊も教義もなく唯題目を看板に無智な民衆を愚弄して金もうけに余念のない霊友会は、最近とみに信者間の反抗分裂の傾向が強い。その法力の無力さを社会事業などでごまかそうとしているが、社会事業などは宗教の本質ではない。釈尊や大聖人が社会事業をやったかどうかを考えてもわかることである。


 かくして霊友会は現在では衰亡の一途をたどっており、飯倉の本部も一時ほどの賑わいを見せていない。それと云うのも会長の小谷キミが国友婦人会を使つて街頭で集めた、赤い羽根募金の着服で検挙されたり、側近者に対する暴行が新聞に報ぜられる等、邪宗教の正体が次々に明るみに出て、見放されてしまつたからである。そこで最近では「正行」と称する注意事項を会員に配布して、世間の非難をさけながら、もつばら文化程度の低い農村あたりに進出をはかっているようであるが、衰亡の状態をばん回することも出来ず、あわれな末路を示しつつある。


二、立正交成会
 

「年中下痢をするのは親不幸のザンゲなのですよ、お母さんを恨んでいるでしょう。その恨んでいる心をザンゲさせて頂けば人並の体になれるんですよ」


 立正交成会では「結んでもらう」と云つて、何か悩みがあると幹部にその因縁を説いてもらう。全くナンセンスなこじつけであるが、結んでもらったらその通り実行すれば必ず幸せになれる、実行しなければ「お悟り(罰)」があると教えている。「あなたは色情の因縁が強い」、「先祖を成仏させてないから、あなたは幸福になれない」といった類の文句は常に使われている。先祖崇拝と法華経と因縁話を巧みに結びつけて作り上げたのが、立正交成会の教えなのである。
 

 その成立 = 交成会会長の庭野鹿蔵(日敬)は新潟生れで、十九才で上京し石原炭店の小僧として働くかたわら、主人について六曜七神や姓名判断を習った。その後独立して漬物屋や牛乳店をしながら昭和十年頃霊友会に入会、その後天理教信者だった長沼マサ(妙佼)をみちびいた。こうして二人はかなり熱心な霊友会信者になった。ところが当時盛んだった霊友会が内部紛争から崩壊し、妙智会、孝道教団、思親会と分裂を始めた。昭和十三年、庭野長沼の一派も「大日本立正交成会」として、分派した。

 その後の交成会は霊友会とほとんど大差ない教義をたて、目新しいといえば姓名判断をとり入れた点だけだった。ところが終戦後の混乱に乗じて著しく発展、中野の和田本町に次々とピンク色の道場をたて、脳みの多い無批判な中年婦人層を相手に蔓延し、今日に至つている。
 

 作られた教義 = 邪宗教はたえず教義を他から盗んで来る。交成会もその例にもれないのである。
 

、先ず題目を唱えさせる。世間では南無妙法蓮華経だから日蓮大聖人の仏教に関係あるのだろう位に考えているが、題目だけを看板に盗み取つて中味は全く何の関係もない邪義でかためた邪宗教なのである。
 

、入会すると、霊友会と同じく先祖の「総戒名」を祭らせる。「先祖の戒名を本尊にせよ」などとは、釈尊の一切経にも日蓮大聖人の教えにも全然ない。日本人の先祖崇拝の美風を利用し、勝手に題目と結びつけて作つた邪義である。
 

、総戒名で始まつた交成会信仰は「おみちびき」と「本部通い」で明け暮れる。やがて強信者と認められれば、「曼茶羅」が渡される。この「曼茶羅」には弘安四年四月五日の日付が入つているが、日蓮大聖人とは何の関係もないもので、形よく似せて、勝手に書いたニセ本尊である。更にその上になると「守護神」というのが下附される。中には神札みたいなものが入れてあるが、これらはいずれも魔神の働きをするものばかりである。又入神といって神がかりになり、発音(狐つきと同じ)や、九字を切ったりして完全に魔性を発揮するようになる。


、このように入信してから拝む本尊が次々と変ると同様、交成会の本尊


 天壌無窮
 南無妙法蓮華経   日敬
 異体同心
 

も度々変っている。発足当時には、右図のように書いたものを本尊としていたが、あまりデタラメなのに気付いたのか、本部や支部の旗にしてしまい、その後本部道場には曼茶羅を掲げるようになった。それも最近妙佼副会長の死をチヤンスに改革を思い立ったらしく、今年(昭和三十三年)正月に会長庭野日敬は「真実開顕の年」の宣言をした。即ち「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」が本尊であると云い出したのである。この本尊すりかえの云いわけが面白い。

 

「本会におきましては、すでに十四年間あえて真実の御本尊の発表を差控えて、今日まで大曼茶羅を正面に奉安し、これが本尊であるかの如き印象を外来者に与えてまいりました。又本会自身も文部省や東京都への届出にさえも、曼茶羅をもって本尊とする旨を申告していたのであります。何故このような一見矛盾するが如き届出をせねばならなかったかと申しますと、ここに凡解では一寸理解し難いような深い仏知見にもとづきお手配があったのであります」

(昭和三十三年一月五日交成新聞日敬談話より)

 

 学会から本尊を責められて狼狙し、身延あたりから傭って来た教学陣に作りかえさせたのだろうが、これなども今まで信者をだまして来た裏書きのようなもので、法盗人の正体を暴露したものと云えよう。
 

、創立以来姓名判断は交成会の主な武器であつた。「あなたの名前は後家になる因縁がある」等とおどして入会を進めていた。大体外道である姓名判断が仏法に関係あるわけがない。こう責められて方便だと一時は弁解していたが、最近ではすっかり引込めてしまったようである。本尊を責められれば本尊をかえ、教えを責められれば教義もすぐ作りかえて平然としているのが邪宗教なのである。


 その他魔の正体をかくすために、世間からほめられそうな社会事業、慈善事業、清掃等には熱心で、善人ぶっているが、本部の士地問題や身廷御開帳料をめぐる紛争など、金もうけ宗教企業屋の正体をあちこちに示している。
 

 その姿を涅槃経に説いて曰く「律を持つ像に似て、少しく経を読誦し、飲食を貪嗜して其の身を長養し、袈裟を著すと雖も猶猟師の細めに視て徐に行くが如く猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん、我羅漢を得たりと、外には賢善を現し内には貪嫉を懐く、啞法を受けたる婆羅門等の如し。実に沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん」と。

三、孝道教団
 

 天台宗でもない、邪宗日蓮宗ともいえない奇妙な「熟益正法」なる珍脱をふりまわす新興邪宗教が孝道教団である。
 孝道教団の教祖を岡野正道という。彼はもと天台宗の坊主であつたが、昭和の始め横浜で小さなラジオ屋を開いていたころ妻キミ子と共に霊友会に入った。熱心に「おみちびき」をやり支部長になった。しかし彼は霊友会の幼稚な教にあきたらず別に新しい一派を開いたのが孝道教団である。終戦後、横浜六角橋に本部を設け、さらに現在の鳥越山を買収して孝道山と称した。
 統理に岡野正道、副統理には岡野キミ子がなっていて支部の組織がある。入信すると総戒名をかいた仮本尊をあたえ多くの「おみちびき」をすると、マンダラや守護尊神なるものを売るところは霊友会などと同じである。
 彼らの唯一の教義である「熟益正法」なるものは、それこそ抱腹絶倒のオトギ話で、こんなものを信ずる人がいるのも、現在の日本人の宗教的無知からであるが、堕地獄の業因を作っているのは恐ろしい限りである。その唯一の教義というのは次のようなものである。


「現在は釈迦滅後二千五百余年である。釈迦滅後二千年から二千五百年までの末法五百年は、南無妙法蓮華経の題目だけを唱える上行所伝の下種益の法華経が弘まった。しかし二千五百年後は熟益の時代で、無辺行所伝の法華経すなわち『熟益正法』『みのる法華経』でなければ功徳はない」というのである。

 

 このような笑うベき一時の思いつきは、少しでも仏教を知るものなら誰でも破折できるであろう。なるほど法華経といつても、在世の法華経、像法時代の法華経、末法の法華経と三種がある。種熟脱という法門も法華経のみに説かれている。しかして法華経嘱累品の予言のごとく迹門熟益の法華経は薬王菩薩の再誕たる天台伝教によって余すところなく弘通された。しかし末法の現在において迹門熟益の天台宗の教えでは、全然功徳がないどころか逆に不幸になるのである。
 現在は末法の御本仏・日蓮大聖人が一応外用で法華経神力品の予言のごとく上行菩薩の再誕として三大秘法の南無妙法蓮華経を弘められ、無辺行、安立行、浄行等を始めとする地湧の菩薩が広宣流布にはげむのである。大聖人が報恩抄(御書三二九頁)に「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」と仰せのごとく、末法五百年はおろか末法万年尽未来際までも三大秘法の大御本尊の功徳は輝くのである。
 

 そのほかに、法華経のどこに「無辺行」が出現して熟益正法を弘めるなどということが説いてあるか。法華経のどこにもないことを勝手な我見でいうのは仏法を壊乱する大仏敵である。大聖人の下種益とは、下種益、熱益、脱益を一度に生ずる即身成仏の大功徳をいうのである。今さら歴劫修行の熟益などは常識で考えても仏が弘めるはずはないではないか。しかも岡野正道が無辺行菩薩の再誕だなどと云い出すにいたってはもっての外である。
 

 やる方もやる方であるが、岡野正道は最近、天台家の僧正の位をうけたそうである。彼らに都合のよいように、大聖人の教えや天台の教えや霊友会の邪義などを取りまぜ、ラジオや宣伝カーなどを利用して宣伝に狂うさまは、あたかも宗教界の恥知らずのコウモリの姿である。御本仏日蓮大聖人の仏法に反逆し、釈迦仏法まで冒涜する孝道教団の無間地獄は疑いのないものである。


 農近になつて岡野キミ子などが、富士大石寺の御宝蔵前にきて大聖人の霊感をうけたなどと、さも日蓮正宗と関係のあるようにいっているのは全くの気違い沙汰である。


四、国柱会その他
 

 国柱会は明治の始め国中智学によつて開かれた。彼は始め身延派で出家したが後に在家にかえり、蓮華会という団体を作った。その若いころ横浜で日蓮正宗の信者と問答した。その記録は現在でも横浜問答として富士宗学要集(第七巻問答部二)にも集録されているが、徹底的に問いつめられて、規約を破って姿を消した。
 そのうちに又東京に出てきて立正安国会を開いて盛んに日蓮主義なるものを唱えた。国柱会といったのは大正三年からで、相変らず釈迦本仏を立て、戒壇の大御本尊を怨嫉して、ありもしない佐渡始顕の本尊を根本正式の本尊とするなどの謗法を犯している。また高祖遺文録や本化聖典大辞林・日蓮主義教学大観等を出版したが、教義の根本を誤っているから、日蓮大聖人の真髄には遠く及ばない上に、特に歴史の点でも富土門流に関しては誤りが多い。
 

 田中智学の唱えた富士戒壇説とか曼荼羅本尊中心説とか本尊雑乱撤廃説など、従来の身延派の教義を修正した新説は、すべて日蓮正宗の教義から盗み取ったもので、それだけ悪質の邪宗というベきである。魔のすみか身延へ参拝したり宗祖に関係ある名所旧蹟を自ら歩いて宣伝したり、時流に迎合した国体論をふり廻して神社参拝を強要したり、劇や舞踊などで宣伝したりしているのは、多分に信仰よりも俗化した世間的なことに動いている。智学の晩年は永く両眼を失明したりして悲惨であった。
 彼の死後は邪宗の例にもれず国柱会内部が四分五裂し、智学の子供たちや高弟の山川智応などの間にみにくい権力争いが起って弱体化し、現在はほとんど昔の姿はみられない。その流れは国柱会(田中芳谷・香浦)、立正教団(里見岸雄)、本化妙宗連盟(故山川智応・高橋智遍)、正法会(中村雅哉)、立憲養正会、精華会等となつたが、立正交成会等の新興宗教に流れこんだのもいる。


 これらの系統のもので時々創価学会に批判を加えてきたものもあるが、その都度大白蓮華等で破折している。又精華会も終戦直後、創価学会と数度にわたって法論し小平教学部長らに徹底的に破折されたこともあったが、最近は立憲養正会などと共に壊滅してしまっている。


五、日本山妙法寺、大乗教
 

 黄色の袈裟をつけ南方仏教徒のような身なりをして、ウチワ太鼓をたたき題目を唱えているのが日本山妙法寺の坊主である。
 日本山妙法寺の管長は藤井日達といい、立正大学の前身である日蓮宗大学を卒業し三十三才のとき満州に渡り日本山妙法寺を創立した。引つづき支那インドに渡りガンジーの無抵抗主義の影響をうけた。現在日本に寺が百五十くらい、インドに数ヵ寺あるという。
 寺にまつっている本尊は他の邪宗と同じく雑乱きわまりないもので、中央に曼荼羅その前に大聖人の像をおき左右に釈迦像と聖徳太子像までまつっている。さらに最近は熊本等に仏舎利塔をたてインドから持ってきた釈迦の舎利を拝ませている。本門戒壇の大御本尊に反逆し、このようなインチキきわまる雑乱本尊を信ずるのは地獄につきおとす以外の何物もない。
 また諸天撃天鼓の文によつて盛んにウチワ太鼓をたたき、相手の眠っている仏性に題目を唱え礼拝して仏性を呼びさますのだという。あらゆるものが妙法の当体で拝む本尊は何でもよいというなら大聖人はことさら「諸宗皆本尊に迷えり」と仰せられて御生命をかけて邪宗の本尊を破折されるはずがないではないか。末法においては各人が三大秘法の御本尊を拝む以外に成仏の道はないのである。
 また米ソ二大陣営にはさまった日本は、徹底した暴力否定・無抵抗主義を行わなければならないと主張して平和祈願や平和運動などを行い、何か人目につくような社会事件がおこるとすぐ飛出している。しかし立正安国論を拝すれば、この世の一切の不幸の現象はすベて邪宗邪義よりおこる故に正法を信じ邪宗を撲滅する以外に幸福な社会は作れぬとは大聖人の根本の教えである。
 日本山妙法寺のごとく雑乱本尊や邪義をたて、しかも他宗派を攻撃するのは狭い考えだなどというのはとんでもない見当違いであり、かえって亡国の原因を作っているのに気がつかないのは大逆の徒というベきである。大聖人が邪宗を破折もせずウチワ太鼓をたたいて歩いたかどうかよく考えてみるがよい。

四菩薩造立抄(御書九八九頁)に云く「私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし(中略)総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」の御文をよくよく思うべし。


 次に大乗教というのは邪宗日蓮宗ではないが、名古屋方面にはびこり妙法蓮華経と唱え法華経を立てる新興邪宗教である。
 教祖は杉山辰子といい邪宗の通力があったらしく、大正三年に仏教感化救済会を開いたのが始まりである。昭和七年に病死し安立行菩薩の再来などといっているのは、笑止のいたりである。現在の管長は杉崎法山といい戦後は大乗教と称している。                               
 本尊は一尊四士で釈迦の両脇に人形のような四菩薩を並ベてかいた掛軸である。しかし本尊なんかはどうでもいいらしく、要は自分の心が本尊となれるように法華経をもとにして六波羅密の修行をやっていくのだといっている。
 また幸福になる秘訣として「一、慾ばるな施せ 二、愚痴を言うな喜ベ 三、怒るな こらえよ 四、怠けるな 働け 五、悪口を言うな 考えよ 六、内緒事をするな 悟れ 諸天は常に見てござる 以上の実行に心がけ、道を歩む時も、
仕事の折に常に妙法蓮華経妙法蓮華経とお唱えして下さい。必ず大難は小難となり小難は無難となって幸福が得られます」などといっている。すなわち南無妙法蓮華経ならぬ妙法蓮華経を唱える精神修養的邪宗教である。
 

 法華経といえばすでに、智慧はかり知れぬ天台伝教によって論じつくされ、今ごろになって杉山ごときものによって極められる何物も残っていない。末法においては、その天台の法華経を信じても成仏できず、法華経の予言のごとく末法御本仏・日蓮大聖人が生命がけで末法のわれわれに与えて下さった三大秘法の御本尊を信ずる以外に幸福になれないのである。 腐った御飯のごとき天台宗よりも更にひどく低劣な邪宗教ということができる。