第八章 日蓮正宗と日蓮宗各派の批判

 お題目を唱える宗教にはたくさんの宗派があって、教義も儀式も全く別々のことをやっている。その中で唯一つ正しく日蓮大聖人の教通りに信心修行しているのは、日蓮正宗(総本山富士大石寺)だけである。
 以下これらの各宗派を次のように分類して日蓮正宗との比較をし、善悪・邪正を朗らかにする。

一、日蓮正宗
二、日蓮宗一致派
  (1)、身延離山及び当時の情勢
  (2)、身延の教義と本尊
  (3)、池上と中山
  (4)、京都の一致派
  (5)、不受不施派、同講門派
三、日蓮宗勝劣派
  (1)、本門法華宗(旧八品派)及び仏立宗等
  (2)、顕本法華宗
  (3)、法華宗
  (4)、旧本門宗
四、新興宗教
  (1)、霊友会その他
  (2)、立正交成会
  (3)、孝道教団
  (4)、国柱会その他
   (5)、日本山妙法寺、大乗教


   第一節 日蓮正宗

 今から三千年前印度に出現された釈尊は五十年の間、華厳・阿含・方等・般若・法華と多くの経々を説かれたが、最後の八年間に説かれた法華経が最高唯一の法であると説き示されたのである。
 しかも釈尊は法華経において一切の大衆に皆仏道を成就せしめたが、釈尊入滅後二千年以後の末法の時代になると、「白法隠没」して釈迦仏教はすべて効力を失ってしまうと説いた。それゆえ末法の始めには上行菩薩が出現して本因妙の教主として、末法万年の一切衆生を救う三大秘法の南無妙法蓮華経をお建てになると予言した。
 かくて日蓮大聖人は法華経の予言通り仏滅後二千百七十一年の鎌倉時代に出現されたのである。日蓮大聖人は、当時の宗教界がすベて腐敗堕落し、大衆は邪法邪義の邪師に迷わされて苦悩のドン底にあったので、一切の邪宗教を破折して寿量品の文底に秘し沈められた大白法・大正法を建立しなければならない、と説き出された。この大白法こそ本因下種・三大秘法の南無妙法蓮華経であらせられるのである。


 この大正法を説き明かされるためには、まず他宗の邪義を打破しなければならない。そのために種々の御法門を説かれたのであるが、それは開目抄に五重相対として、観心本尊抄には五重三段として説き明かされており、これによって当時の各宗派を破折されたことは、前章までにのベてきた通りである。しかして同じ法華経の中にも本迹相対、種脱の相対がある。しかるに天台宗や日蓮宗身延派などでは本迹一致と立てるから、本迹相対を知らないのであり、同じく法華経本門を立てる宗派で本門法華宗、顕本法華宗等でも、釈迦本仏と立て法華経文上の脱益仏と脱益の妙法に執着するから、これは種脱相対を知らないのである。


 文底下種法門は独り深秘の血脈相承を受けつがれたる、日興上人日目上人の正統正流たる日蓮正宗富士大石寺のみが、これを伝えるところであって、無相伝家・偽似日蓮宗の他門流などが、絶対にうかがい知ることのできない法門なのである。
 その文底秘沈の大法とは、法華取要抄(御書三三六頁)に、「問うて云く如来減後二千余年・竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法とは何物ぞや、答えて曰く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」、と御示し遊ばされている。すなわち三大秘法と申しあげるのである。


 三大秘法随一の本門の本尊は又人と法に開かれる。
 人の本尊とは本因妙の教主・主師親三徳・大慈大悲の宗祖日蓮大聖人であらせられて、印度応誕の釈尊ではないのである。故に諸御書を拝するに、

 本因妙抄(御書八七七頁)
  釈尊・久遠名字即の位の御身の修行を末法今時・日蓮が名字即の身に移せり。
 報恩抄(御書三二九頁)
  日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし。
 撰時抄(御書二六五頁)
  されば日蓮は当帝の父母・念仏者・禅衆・真言師等が師範なり又主君なり。                      
 御義口伝(御書七六〇頁)
  本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。


 次に法の本尊とは文底下種事行の一念三千の南無妙法蓮華経である。故に
 開目抄(御書一八九頁)
  一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり。
 観心本尊抄(御書二四九頁)
  在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼れは脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり。
 観心本尊抄(御書二五三頁)
  像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如・一念三千其の義を尽せり、但(ただ)理(り)具(ぐ)を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず。       
 

 しかして弘安二年の本門戒壇の大御本尊こそ人法一箇の御本尊であらせられる。故に諸御書(御書七五九頁等)に「一念三千即自受用身」「自受用身即一念三千」等と仰せられているのである。


 かくて日蓮大聖人は出世の御本懐としての大御本尊を御建立になり、弘安五年御入滅に先きだって御弟子日興上人にすべてを御相伝なされた。日興上人は又「日興が身に充て給わる弘安二年の大御本尊」と仰せられて、これを第三祖日目上人に御相伝遊ばされ、爾来法燈連綿一糸乱れず清浄に伝承されてきている唯一無二の宗教こそ日蓮正宗富士大石寺である。


 戒壇とは、広宣流布の暁に本門戒壇の大御本尊を正式に御安置申しあげる国立の戒壇、事の戒壇である。それまでは大御本尊のいらっしゃるところが義の戒壇である。
 題目とは、この大御本尊を信じ奉って南無妙法蓮華経と唱え、折伏することである。即ち題目には信・行がある。この大御本尊に対して信心修行に励むところに成仏得道の道があるので、他には絶対ないのである。