戸田城聖全集質問会編 262 喀血して危険な状態
〔質問〕 弟は二月に信心しました。御座替わりのとき登山した後、大きな喀血をして、現在も危険な状態にあります。年齢は二十七歳です。
ふつうの結核ですか、粟粒性ですか。
返事があやふやのようですが。粟粒性といえば、一年もたぬ。ふつうの喀血なら、たいてい粟粒性ではないと私は思う。本人が、ほんとうの信心ならば、喀血だけでは死にますまい。粟粒性なら相わからぬ。だが、粟粒性でも、こういう子がいるのです。
いまから四年前に、私が仙台へ行ったときに、むこうの応用化学を出ている青年で、すこぶる優秀な青年だと、私はいつもみていたのです。それが、私が行ったときに、出てこないのです。おかしいと思って呼んでみたら、もう、ふうふうになっていたのです。本人は肺病だというと、泊まっている家も追い出されると思って、肺病でない、肺病でないとがんばっていたのです。だが、病気はひじょうにつのってしまって、そして、あまりにかわいそうなので、本山へ連れてきたならばなおるだろうと思って、そのとき粟粒性とは思わないですからね。お山へ連れてきたら、一度に安心してしまって、もうたいへんなのです。
本山では、それは困るといってね。本山では、肺病などはいないのです。こういう空気のきれいな所だから、そこへ私が肺病をつれてきたから、本山では怒るは、怒るは、これはたいへんです。そして、早く連れて帰ってくれというのです。それは、もっともな話です。そこで、早く連れて帰って、駿河台の病院へ入院させたのです。そして、診断は、粟粒性結核で絶対だめだと、もしなおっても、五年間たたなければ常態にならないだろうといわれ、それから、一日に注射二十何本うってやってみたら、とうとう死ななかったのです。そして、なんとかいう療養所にまだはいっていますが、まだ死んでおりません。今年で四年目ですから、医者のいうとおり、結局、今度はなおるのではないですか。
肺病とはそういうものです。粟粒性というのは、昔から決まって半分以上はもたないということになっているのです。これはリンパ性という、死んだ後の肺をみると、軽石のようにホカホカ穴があいている、そういう乱暴なばい菌がいるのです。それにかかってはかないません。
ふつうの結核菌であったならば、絶対安静などしないで、寝たいときに寝て、起きたいときに起きて、食べたいものを食べて、眠っていれば、だいたいなおるのです。
その証拠が、ぼくなのです。十年間、毎日、喀血したのです。最後に、金たらいに五つか六つ、きれいな血が鼻から出る、口から出てくる、大喀血で、一か月寝て、最後のときには酒を一杯持ってきてくれといって、ぼくはどうも酒を使うところは、舎利弗さんと四条金吾殿に似ているらしいのです。そのわけはあとにしますが、ぐっと飲んだら、ぐっすり寝たのです。起きたら、なおったのです。それ以来、絶対だいじょうぶなのです。喀血を金たらいに五つぐらいしたのです、一回にですよ。マルコポンという注射をして、ぼくは一週間も続けて寝たのですから。で、医者に、死ぬ時いってくれといったのです。医者の薬は、絶対飲みません。医者の薬でなおるとは、絶対に思いません。御本尊様一本でなおしたからだなのです。
本人に信心があればなおるだろうし、信心がなければなおらないだろうし、ご返事はそれっきりです。その信心だって、信心によりけりです。命を御本尊様にさしあげるくらいの、ほんとうの決意をもった題目だったならば、なおらないわけがありません。