戸田城聖全集質問会編 228 仏も病気で亡くなるのか

 

〔質問〕 日蓮大聖人様がお亡くなりになるとき、病気でお亡くなりになったということをうかがいましたが、そういうことがあるのでしょうか。

 

 いまの質問は、いい質問です。仏法の原理に通ずることなのです。

 それは、法華経をお読みになったかどうか、は知りませんが、法華経のなかに、釈迦牟尼仏の前に諸菩薩が集まって「少病少悩でいらっしゃるか」と、釈迦仏に聞いている。「少病少悩」すなわち「わずかの病気、わずかの悩みがおありですか」と聞いているのです。

 これは、仏法哲学者の一つの問題になっているのです。なぜかならば、仏には病気がない、悩みがないといえば、この世の衆生を救うわけにはいかないのです。そこで、少しの病、少しの悩みがありますかと質問して、釈尊の状態を述べているのが、法華経の経文に、かずかずあるのです。

日蓮大聖人様は、もったいなくも、弘安二年の十月十二日に、大御本尊様をお顕しになりまして、その後、四年間生きていらっしゃったのです。もうご用事はないのです。しかし、病気といいますのは、いまの科学の説で考えれば、ビタミンの不足なのです。腸をおかされていらっしゃいます。下痢がとまらないのです。それで、一年間は、下部の湯にと、弟子たちのすすめで行こうとなさったのですが、ご自分の寿命を知っていらっしゃるのです。

 それで、釈尊は純陀(じゅんだ)と申しまして、大工の家で死んでいるのです。ここが不思議なのです。日蓮大聖人様は、池上で死んでいるのです。そうすると、純陀と池上家との関係になってくるのですが、池上が、鎌倉幕府の建築奉行です。正法の釈迦如来も、末法の日蓮大聖人も、同じく大工の家で亡くなっているのです。

 そういうようなわけで、ご自分の命がなくなることは、ご自分でじゅうぶんご承知なのです。だから、仏だからといって、病気をしないで死んだら、おかしいではないですか。仏様が汽車にひかれて死んだとか、そのころは汽車はありませんが、ガケから落ちて死んだのならおかしいかもしれませんが、人間は、みんな病気というかたちをとって死ぬのではありませんか。そのかたちをおとりになったからといって、おかしいことはないでしょう。なにがありますか。

 私だって、死ぬときは病気で死ぬのです。なんの病気で死んだらいいか、まだ考えていませんけれども、なにかの病気で死なないと、私もつごうがわるいです。肺病では、もう死にません。心臓病でも死にません。しかたがないから、「洋酒の寿屋」で死のうか、と思っているのです。

 日蓮大聖人様が、一年前からご病気で、六十一歳の御年で亡くなられたときには、四条金吾殿がついていたのです。四条金吾殿は有名な医者です。その方がついていて、お手当てのたりないことはないのです。ただ自分の死を期してから、あのときお乗りになっていた馬などをかわいがったそうです。馬の首すじをたたいて、そうして「大事にしてやれよ」とおっしゃったそうです。そのように、仏様が死を覚悟していらっしゃったのですもの、病気くらい、いいではないですか。

 佐渡へ流罪になられた、伊東へ行かれた、あるいはその他に行かれたけれども、日蓮大聖人様が病気をなさったとは書いてありません。死ぬ前だけ病気したのです。それくらい景品をつけてもいいではないですか。おたがいに死ぬときは、なにか病気をつくって死のうではないで

すか。私は「洋酒の寿屋」です。わかりましたか。仏様は病気で死んでもいいのです。

 われわれの場合、御本尊様を拝んで、病気がなおるのに、なぜですか、という疑問がでると思いますが。なおるといっても、死ぬ前は景品をつけなければだめです。

 また、自然死ということもありえます。日蓮大聖人様のは自然死です。ただそのまえに腸が悪かったというだけのことです。自然死でなくて、なんの死ですか。お苦しみあそばしましたか。眠るがごときご臨終ではないですか。

 なにも日蓮大聖人様が、おれは死ぬのはいやだとか、苦しいとか、なんとかいった記録は一つもありません。自然死です。そのまえに、腸が少し悪かったというだけです。腸ぐらい、ときに悪くもなります。

 こういう話があるのです。身延の山に雪が降って、だれびとも、なにも売りにこなくなってしまった。その雪のときに塩を売りにきたそうだ。麦とおとりかえになったそうだけれども、その麦のおかゆに、塩を入れて召しあがったときに、日蓮大聖人様のおおせには、「塩というものは、おいしいものだ」とおっしゃったそうです。そういう山の中で、三か月も塩を食べないで、もちろん青い物もないでしょう。そこでお暮らしになっていて、いまの科学ではビタミン不足だなどといいますが、それがないといえますか。しかも、ご自分の働く場所はないのです。御開山日興上人にぜんぶおゆずりあそばして、戒壇の御本尊もできて、安住しておられる時期ですから、ビタミン不足なら、麦に青物を持ってこいといえば。どこからでも持ってきます。

 うそだと思うなら、大講堂をつくったとき、ここから、あの時代の金で二千何百枚という穴あき銭が出たのです。いまごろ穴あき銭などというと、人はばかにするけれども、あれが一文あると、たいした生活ができたのです。うそと思うなら、元禄時代に、赤穂浪士四十七人のたばねをした大石内蔵助が、自分の同志に貸してやった金に、二分という金があるのです。二分とはいまの五十銭です。それで三月間、飯を食っていたというのです。

 あのころの穴あき銭に二通りあるのです。中国からきた穴あき銭は高く、日本で造った穴あき銭は安いのです。日本の八文と、中国からきた一文と交換になっていた時代です。その中国の穴あき銭が二千何百枚、埋まっていたのです。

 日蓮大聖人様が、お金がないとはいえません。それは、青い物が欲しいから持ってこいとか、なんとかいったら、富木殿はいるし、四条金吾殿はいるし、富士には南条殿がいるのに、持ってこないわけがありますか。「少欲知足」といって、これは仏様でなければできません。自分が食べるとか、自分が飲むとか、それは関係ないのです。

 そういうおからだですから、栄養失調におなりあそばしたのではないかと、私は考えるのです。命を後へもどさない、というお心があるから。それをなぜおまえはいえるのかというと、三つの事件があるのです。

 それは、日蓮大聖人は佐渡で、四月二十五日に「観心本尊抄」をおしたためになりました。天台は、四月二十六日から「摩訶止観」を説きはじめられ、章安大師にお授けになって、それから四年目に六十歳で亡くなっていらっしゃいます。そして日蓮大聖人様は、この大御本尊様をおつくりになってから四年目に、六十一歳でこの世をお去りあそばしていらっしゃる。そういうふうなことから考えれば、病気で死んだと一応は人はいっても、私は仏法の論議からいって、それは認めません。大御本尊様をあらわして四年目です。天台は、摩訶止観をあらわして四年目です。天台は、日蓮大聖人様が観心本尊抄をあらわしたその翌日から説かれたのです。

それは、大聖人は末法の仏様なのですから、先なのです。天台は、像法の仏ですから、後になるわけです。一夏すごして書いて、四年目に亡くなっています。その仏法の哲理を考えなければならないのです。

 そうひがんで考えないで、大きな目から、仏法哲理をみなければならないと私は思うのです。あなたの質問はきょうの質問で、いちばん秀逸です。「病気がなおりますか、なおりませんか」、なおらないものを信仰する必要はないではないですか。なおるに決まっています。自分の思いどおりにならなければ、死なないに決まっています。死なないのは、よほど強つくばりです。私は、そんなものの責任は負いません。