戸田城聖全集質問会編 214 息子が放浪ぐせ

 

〔質問〕 十一歳になる男の子ですが、事情があって離れて生活しています。姑さんといっしょにいるのですが、毎日出歩いて放浪ぐせがついてしまいました。私が登山しようと決意したら、ここ二十日ぐらいは家にいるのですが、今後どのように信心していったらいいでしょうか。

 

 いままでどおりでいいのです。子供の将来というものは、いまだけみてもわからないものです。私は、長く劣等児教育と優等児教育を、二十年間やってまいりましたが、その間、育てた子供は、もう最初のほうは五十近くになっております。それで、その後をいろいろみますれば、小学校の時あたりにいろいろの姿をだしておりますけれども、親がまじめに信心したら、かならず軌道に乗ります。あせらずに信心しなさい。

 例をひとつ話してあげますが、これは皆さんの参考になることではないかと思います。

 私はむかし、劣等児教育をやったときに、ある家庭の次男坊ですけれども、これを教えたことがあります。ひじょうにしまつが悪いのです。小学校六年で、たし算も引き算も知らないのです。もちろん、字などは知りません。それを中学校へ入れてくれとたのまれたのです。M学院へ入れましたが、いや、もう、しまつが悪いのです。時間中に、紙を嚙んでは女の子にぶっつけたり、しかると弁解なんか少しもしません。きたなくて手が真っ黒なのです。どろんこになっているのだから、よだれをつけて目をこするのです。そうすると泣いたみたいに見えてしまう。

 そのしまつの悪い子を、私は中学三年までやってきましたけれど、その子一人いると、どうにもならないのです。それで考えました。ひじょうに機械に得手がある。それで。工業大学の浅川とかいいましたか、その博士につけまして助手みたいにしてもらっているうちに、二十三、四になったときに訪ねてきました。りっぱな洋服を着てしまって、それでどうしたのだといったら、いま、自動車会社の技師をやっているというのです。月給は、そのころで小学校の校長先生がまだ八十円くらいの時だったのです、百何円ももらっていると聞きました。

 だから変わるのです。いま私のもとにいるから、名前をいうと、あれかなどといわれては、本人がおこるからいいませんが、放浪ぐせがあって、家を飛び出して、どこへ行ったかわけがわからない。それを、何年間もそんな生活をしていたのです。それで、きちんと私のところで落ち着いて、幹部になっています。だから、そうあわてずに、子供にも信心させ、あなたもまじめに信心していきなさい。そういう性質は、すぐなおるとはいえないのです。だが、いつとはなしに軌道に乗るから、安心して、待っていらっしゃい。