戸田城聖全集質問会編 188 経済的悩みだけが未解決

 

〔質問〕 入信して二年になります。たくさんの病気をもっていましたが、それは、ぜんぶなおりました。精神的な悩みもなくなりました。ただ、経済的悩みが残っているので、これをなんとかしたいのですが。

 

 これは、いつも登山会で問題になることでありまして、病気がなおると、こういうのです。金がないのは困るというのです。

 病気がなおらないようだったら、この信心はさせません。医者を頼って。病気はなおしなさい。しかし、医者にかかってなおらない場合には、御本尊様を拝みなさいと、こういっているのです。なおらないわけがないではないですか。それは、なおるか、死ぬかです。

 金欠病は、これはすぐなおらないのです。手品やなにかではないのですから。死んでなおるわけはないけれども、生きているうちに、かならずなおるのですけれども、三年や五年の歳月をかけなければ、貧乏人に生まれてきた人が、金持ちになろうというのに、一年や二年や三年の信心でなおるというのは、それは、むしがよすぎます。

 いつも私は、笑い話にいうのですけれども、あるおばあさんが私に聞いた。「先生、どうしたらお金ができるのですか」「まあ、四、五年しっかりやりなさい」「そんなに待っていられません」。いや、その気持ちはよくわかります。気持ちはわかるけれども、そういうものではありません。そのように、かんたんにお金ができるのなら、手品かなにかです。それはうそです。ほんとうの信心というものは、五年なり、六年なり、まじめにやって、そこからいうにいえないものができてくるのです。

 ですから、そうあわてることもないでしょう。どうせ、病気もなおったし、精神的悩みもよくなったのですから、あと、まじめに、二、三年ガッチリ信心してごらんなさい。そうしたなら、そこから、しぜんのものがでてきます。それを、信仰したから、すぐあとがらお金ができるとか、そういう考え方が悪いのです。そういうことを指導する人も悪い、そうでしょ。そんなものではありません。金欠病は七年ぐらいです。自分のからだの病気はなおります。七年間待っていられません。痛くてたまらないし、困っているのですから、それは早くなおるけれども、ほんとうに金などというものは、もともと自分にないものではないですか。

 それをつくろうというのですから、五年や六年は、御本尊様をキチンと拝んで、まじめになったほうが、いいのではないですか。