戸田城聖全集質問会編 187 お金のでるほうが多い

 

〔質問〕 お金がはいるより、でるほうが多いのですが、なんとかなりませんか。

 

「大白蓮華」に、過去世に泥棒をやってきたものは、毎日毎日はいってくるお金はあるけれども、それより早くお金がでていってしまうと、私が書いたのですけれども、勝手に書いたのではないのです。それは、釈尊がいっているのです。私がいったのではありません。

 その次には、日蓮大聖人様がおっしゃっていることがあるのです。「般泥洹経(はつないおんきょう)に云く」とおっしゃっているのです。ここが問題なのです。経の内容は「おまえは貧乏人だと、どういうわけかというと、前に泥棒したから貧乏なのだ」と。「はあ、そうでございますか」といって、「それでは、私過去に泥棒したのですか、よくわかりました」といっただけでなんになりますか。

 このなかにも、そうとう過去世の泥棒がいるらしい。さきほどの奥様が、永遠の生命論を教えてくれといったが、それを聞いただけでなんになりますか。いま私のところにお金がないのは、過去世の泥棒のせいだ、これから泥棒してはあいならん、また、未来世においてこういう貧乏するといわれて、それがもっともだとわかってどうしますか。貧乏を喜んでいけますか。

そこに、釈尊の仏法と、日蓮大聖人様の仏法との相違があるのです。

 いろいろ貧乏をしているのは、過去に泥棒したからとわかっても、「申しわけありません」と、だれにあやまるのですか。だれのをとったのかわかっていないし、覚えていません。わかっていれば返しに行けるけれども、だれのをとったのか覚えていない。それなのに文句をいわれて、貧乏人にされるのは迷惑です。仏様もずるいです、われわれにはわからないのですから。「そういうわけで、おまえは貧乏しているのだから、がまんしていろ」というのは。それはお釈迦様のほうがずるいです。

 それを、日蓮大聖人様が、「そうしんぼうすることはいらんぞ。どうせ前の世では、おまえらろくなものではないのだから助けてやる」と大慈大悲を起こされたのです。観心本尊抄という御書に、はっきりしていますが、「ここで大御本尊をおまえたちにあずけておくから、この御本尊を拝め。過去世でいかなることをしておろうとも、過去世で仏になるくらいの資格をつくった人の功徳と、同じ功徳をおまえらにくれるぞ」とおっしゃって、御本尊様をお与えくだされたのが、日蓮大聖人様なのです。心配いりません。

 日蓮大聖人様の五字七字の御本尊を、三大秘法の御本尊を拝むところにおいて、権・迹・本の仏の因、如是因といいますが、そういうものを、われわれにくださっているのです。過去世で謗法をやっていてもいいのです。牢になど連れていきませんし、刑事も引っ張りにきません。前の世にやったことですから。安心して御本尊様を拝めば、大金持ちの種を植えたことになるのですから、安心して金持ちになって、そしてどこかへ遊びに行っていらっしゃい。